インクナブラ

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家族のイデア・3 

 メリクリ。良い子のみんな、サンタはコカコーラ社が作り出した商用共同幻想だよー!(挨拶)
 
 と……文化人類学的には出がらしっぽいサンタだけど、その中でも一際異彩を放っているのがドイツ謹製サンタクロース。なんとかの国のサンタ、双子だそうだ。
 一方は広く人口に膾炙しているほうのイメージで、残った片割れは2Pカラーのごとく、黒い。秋田県のなまはげ宜しく、悪い子におしおきするのがこの黒サンタの役目らしい。
 ちなみに今はサンタが二人いるのではなく、サンタが手下として怪人を従えて、そいつらに命じてクソガキを折檻する、という形式が一般的になった模様だ。
 物事には二面性があるという、なんだか含蓄があるような話という気もしなくはないが、しかし手下に命じて子供をお仕置きするという構図は果たしていいものか?

 そんな問題提起をうっちゃって、「家族のイデア」三話め。




   ◆


 先生を見送り夕飯を済ませ、僕は早々に自室に閉じこもる。妹と同じ行動を踏んでいると思うと気は進まなかったが、もう一度確かめなければならないことがあった。

 二年前までは物置として使われていたらしい僕の部屋は、僕がこの家に越してきた時点で既にある程度の体裁を整えられていた。ベッドにテーブル、本棚にラジカセ――それにテレビなどがそうだ。親父の話では、それらは母さんの――『こちら』の巻島家の負担で用意されたものだという。その恩恵にあずかって浪人までしている身分で文句は口にできなかったが、やってきた当初はずいぶん不気味に思えたものだ。部屋から出てこず再婚相手とさえほとんど顔を合わせない母親に、得体の知れない財源に支えられた生活。ただ生活する分には都合の悪いことなどないが、これを疑うなというほうがどうかしている。

 それでも極力気にしないようにこの二年を過ごしてこれたのは、『自分だけの部屋』があるという状況が、思いえがいていた以上に心地良いものだったということも大きい。もちろん他にも要因はあったが――なにしろ親父と兄貴と三人で暮らしていたアパート時代には自室なんて就職するまでは絶対に無理だろうと諦めていたのだ。それが突然転がり込んできたのだから、少しくらいの違和感には目をつむろうという気にもなる。だからその点だけなら、実を言えば妹のひきこもり癖も少しは理解できる。

 だが、兄貴はどうだろうか?

 片耳だけに差したイヤホンのスピーカが微細な音を伝えだす。音源は以前のアパートから使っている十四インチのテレビだ。

 ほこりの張ったブラウン管に映るのは、波のようなノイズの走る真っ暗な画面。その下で剥き出しになっている端子には二色のケーブルが繋がっていて、ケーブルは僕の手元にあるハンディカムから伸びている。――親父の部屋で発掘したそれは、デジタル全盛の時代には骨董品に近い、八ミリビデオ専用のカメラだった。

 再生ボタンは既に押してある。カメラの中でテープは回りつづけている。放っておいてもあと一分もしないうちに画像がテレビに映るのは、三日前に確認している。

 部屋の光量を落として、僕は画面に焦点を結ぶ。気構えを作っておかなければならない。三日前――無造作に置かれていたこのテープを見たとき、僕は胃の中を空っぽにするはめになった。そのときの嫌悪感は今も体の内に巣食って離れようとはしていない。

 これから僕が見ようとしているビデオには、兄貴が映っている。

 だから僕は兄貴のことを考える。
 思い返されるのはさっきの顔だ。醜く歪んだように見えたあの表情。兄貴のあんな顔を僕は初めて目にしたと感じたが、それは錯覚なのかもしれない。今から見ようとしているビデオが僕に植え付けた兄貴への嫌悪感が、僕の目にそんな影を映し出したのかもしれない。だが結局は同じことだ。兄貴の本質がどうだろうと、今、僕は兄貴を厭っている。忌まわしいと思うし、信じられないと思う。

 テレビには、既に画が浮かんでいた。画像は粗い。ノイズもひどい。空間は暗い。一見して隠し撮りだとわかるその視点から望めるものはひどく見づらいが――しかし間違いなく兄貴の部屋だ。疑問の余地はない。
 なぜなら、画面にはもう兄貴が映っている。僕に似た、正確には親父にそっくりな顔の兄貴が。

 ――現在巻島家に住んでいる人間は五人。その内妹と母親についてははっきりいえないが(何しろ僕は母さんをじかに見ていない)、親父と兄貴は瓜二つだ。僕も並べればその瓜は三つになるだろう。血のつながりがなせる業か遺伝子の茶目っ気かは知らないが、本当に会う人会う人に「よく似ている」と言われる。年を取ればとるほどに誰もが言う。『お父さんにそっくり』。

 もっとも知人に家族を見せられると大抵の人は本心に関わらず「やっぱり似ていますね」というようなことを言うので、その点では傍証はあまり説得力を持たない。だが、僕たち三人に関しては八百長は抜きだ。冗談でもなんでもなしにそっくりだ。さすがに双子ほどではないが、背格好や後姿だけならば、友だちにも間違われたりする。その相似は意識せずにはいられないたぐいのものだ。似ていることが嫌でたまらない時期もあった。今だって完全には受け入れてはいない。それはそれで構わない。そういうものだと思うことはできるから。

 だがもちろん似ていないところだって多い。

 画面の中の兄貴の動きを追う。粗雑な粒子のひとつひとつが反映する絵、音――囁きや衣擦れや息づかい。ぎこちない手の動かし方はかえってそれが作り事でないことを裏付けて、「足上げろ」、低い声はそう聞き取れる。兄貴が話しかけたのだ。僕と似た顔をした兄貴が。画面の中にいる|もう一人の誰か《・・・・・・・》|に。

 僕は思う。顔がこれだけ似ているということは――あるいは顔以上に似ているものが僕たちの間には存在しないということではないだろうか? 親父と僕との違い。親父と兄貴との違い。あるに決まっている。ないはずがない。レントゲンのように重ねて比べるまでもない。僕たちはそれぞれ、確かに違う。似ているが別のものだ。あたりまえのことだ。僕は親父ほど女にはもてない。兄貴は親父よりしっかり自分を持っている。親父は陽気だが兄貴は陰気で、僕は時々によって違う。差異はいくらでも思いつける。――僕らは違う。だがあえて決定的な違いを見つけるとするならば、それはなんだろうか? 何が僕たちの違いを示すのだろう? それは性格か、思考か、言動か――

 僕は行為だと思う。性格に根ざし、思考が育て、言動が発芽させ編まれ表出する人間の『結果』、それが僕たちの個性だ。僕たちを隔てる違い、崩れない壁だ。

『はー、ぁ……あ』

 『誰か』の息づかい。ノイズに紛れそうなくらいかすかなそれをマイクは拾い、時間と場所を超えて僕の耳に届けている。
 思考の間にもビデオは回りつづける。ぶつ切りの言葉が発する指示、ひそめられた低い声、湿った音。『誰か』の上に乗って腰を降り始める兄貴。僕は冷静にそれを見つめることができている。嫌悪感は押し殺せる。明らかな情事を目の当たりにして反射的にペニスが勃起してはいるが、性欲は無視できている。勃起を制御できない自分に対する嫌悪も、どうにか抑えていられる。

 僕は冷静だ。そう言い聞かせることには成功している。

『ぁ、や、だ、は、あ、あ、あ、』

 そのまま僕は声を聞く。兄貴のものではない声、女の声を。


『|お兄さん《・・・・》|――』

 聴きなれたその声を。

 ――フィルムは回転を止めない。僕も画面から目を離さない。片耳にだけ差したイヤホンから流れる音を聴きながら、残った耳で部屋の外の気配を探っている。僕は何も感じないままで、続く画像を見つづける。激しい腰の動きのあとに訪れる停滞、疾走の後のような浅く早い呼吸、倦怠感が空気に伝染し、それ以上の背徳がテレビの中の世界を取り巻いている。

 かちり、と音を立てて唐突にテープは終わる。自動的に巻き戻し機能が働いたのだろう、シーツを擦りたてるような甲高い音も耳に届く。八ミリビデオだからって、骨董品なんて馬鹿にできたものではないかもしれない。

 テレビを消す。勃起したままのペニスを意識する。
 
 さて、何の話だっただろうか? 違いの話だったと記憶している。そっくりな僕たち――僕と兄貴の、違い。言葉にすれば簡単だ。だが言葉にはならないだろう。何しろこんなにみっともないことなんてなかなかない。これに比べれば、内定が取れずに焦り、苛立ち、やつ当たりをするくらいはるかに常識的な行動だ。

 僕はベッドにうつ伏せになる。顔を枕にうずめる。泣きたいのではなく、叫びたかった。どろどろしたものが体の中でとぐろを巻いて、内臓を締め付けているような気がする。気分が悪い。僕は叫びたい。僕と兄貴との違い。僕は――

 妹とセックスなんか、絶対にしない。





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[ 2005/12/25 22:43 ] 家族のⅠ | TB(0) | CM(0)
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