インクナブラ

 主に創作小説を掲載します。

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家族のイデア・4 

 グランブルー(訳:とても憂鬱)。
 貴方の心の肉襦袢、ボタンです(注:斬新さを意識した挨拶)。

 年の瀬はこの『追い込まれてる感』が胸をときめかせる。
 なぜだろう。
 子供のときはもっと無心に、そぞろなこの空気を楽しめたのに。

 そうしてエマヌエルの定言命法が心を苦しませる年末に、「家族のイデア」一挙更新を試みるのだった。




3.




 あのテープを僕の部屋に置いた人間は誰なのだろうか? 予備校の授業を右から左へと流しながら、僕はもっと早くに思いつくべきだったその疑問に心を砕いている。

 気分はずっと沈んだままだった。笑ったり話したり、ごくなんでもないことも意識しないとできなくなっている気がする。兄妹の近親相姦を知った人間が見せる反応として、これが過剰なのか適当なのかはわからない。とにかく僕はこうなっている。

『どうしたい?』と僕はノートに書く。

 かなうなら僕と同じ状況にいる誰かに『その気分』を訊いてみたかったが、そもそも昼ドラではあるまいし、反応の統計が計れるほど僕の世界に近親相姦関係者が溢れてるとは思わない。それは救いでもあるし、ある意味悩みの元凶でもあった。

 近親相姦の何が悪いのか? 存在そのものの是非は正直どうでもいい。世界中にはそれを当たり前とする文化もあることだろう。問題はそれほどマクロではない。もっと小さい。ごく個人的な感想だ。
 近親相姦の何が悪いのか?

 ――僕が気持ち悪い。

 絶えがたいくらいにそう感じる。それが悩みの全てで、鬱屈の理由だった。今や前よりもずっと不快な場所になりつつあるあの家――僕の家の中で兄貴と妹がそういうことをしている、そう思うだけで吐きそうになる。他の誰がやったっていい。別に構わない。だがなぜ僕の家族なんだ? 兄貴と妹でなければならない? そしてどうして僕が知らなければならなかった――『誰』が僕に知らせたがったのか?

『誰が』と僕はノートに書く。

 そんな胸糞の悪いことを僕に教えたのは、一体誰なのか。つまり、あのテープの送り主は誰なのか。単純に考えれば僕の家族以外にない。あるいは頻繁に家に出入りできる人物だ。親父か、兄貴か、妹か、あるいは先生? それとも――母さんか。可能性だけを考慮するなら僕や兄貴の友人、妹のストーカー(いるかどうかはともかくとして)まで容疑者に含まれるだろうが、それよりは家族を疑った方が建設的だろう。それが健康的かどうかは、この際無視するしかない。とにかく以降は、『家族の中の誰かが僕にあのテープを見せた』という前提の上に思考を進めていくことにする。

『父、兄』『妹、母』『先生』『その他』『?』『わからない』と僕はノートに書く。

 百人以上を収容できる教室の最前方では、予備校でも有数の人気講師が熱弁を振るっている。今はちょうど『計算された』脱線の時間らしく、講師がおどけた口調で何かを話すたびに教室のあちこちで軽い笑いがさざめいている。一見無駄に思えようと、講師が出入りの激しい業界で生きていく上で、こういう『遊び』は思いのほか重要らしい。講師の人気は、授業のわかりやすさだけでなくそのキャラクターや雑談の面白さにも左右されるのだ。それはいつか先生に聞いたことでもあるし、今は僕も実感として理解していることでもある。

『無駄』『そう見える』『だが理由がある』と僕はノートに書く。

 あて先違いという間抜けな理由でないとすれば、僕にあのテープを見せた誰かにはそうする意味があったはずだ。家族以外の手に渡ればあのテープを元に金を引張ることだってできるだろう。僕が家族を疑う理由のひとつがそれだ。どうしてあのテープを僕の部屋に置いたのか?

 あるいは兄貴や妹、親父のところにもテープは届けられているのか。その可能性は低いように思えた。断言はできないが、家にある八ミリビデオを再生できる機材なんて、今僕の部屋にある親父のハンディカメラしかないはずだ。だから――そう、ひょっとしたら、あれが映像を収めたカメラそのものだということだってありうる。

 僕があの映像を見なければならなかった理由。これはまだわからない。仮にあったとしても、送り主に真意を訊ねないかぎりわかるという気もしない。

 壇上の講師がよく通る声で授業の終了を告げる。僕と同じ本科生たちはわめき立つでもなく静かにそれを受け入れてテキストを片付け、昼食の準備を始めだす。食べ物は朝の内にコンビニで買ってある。僕もいつもならここで食べるところだったが――

 ヘタクソな字が書き散らされたノートをしまう。次に筆記用具を筆箱へ。席を立つ気にはなれない。かといって腹も減っていない。

 ただ、不毛すぎる問答の重積に、そろそろ頭痛がしてくるようになった。

 胸のすかない感覚はどうやったら解消できるだろう。腕を組み頭を伏せて居眠りの体勢になりながら、最後と決めた問いかけをしてみる。

 答えはすぐに返ってきた。――忘れることだ。それがいちばんの処方だ。誰に相談する必要もなく、悩みはなかったことになる。画面を挟んだ現実感のなさは、そのままあのテープの中身を空想に落とすだろう。考えないようにすればいい。今すぐ何もかも忘れることはできない。記憶はそれほど都合良くはできていない。嫌悪感はしばらく続くだろう。兄貴との仲もきっとぎくしゃくしたものになる。妹とはまともに話せる気がしない。親父には負い目を持つ。先生とはどうだろうか? 母さんはきっと変わらない。

 不甲斐ない決意をあっさり押し退けて、疑問が浮かぶ。

 見て見ぬふりをする。それは悪徳のように言われているが、だがはたしてそうだろうか。無視はそんなに卑怯なことだろうか? 誰だって目を逸らしているもののひとつくらいあるはずだ。あるいは逸らさざるをえないものが。僕にもそんなものはたくさんある。そのリストに新しく、ひとつの項目を付け加えるだけで――多少の我慢と時間を引き換えに、やがて僕は平穏を取り戻すだろう。

 その考えは卑怯かもしれない。だが半分だけとはいえ血が繋がっているかもしれない相手とセックスをするよりも悪いことだとは思わない。

 免罪符にはならないことくらい知っていたが、それは僕を誘う逃げ道だった。

 そちらに行けば楽だ。だが僕はまだそうするつもりになれない。足を止めるものは何だっただろう。忘れるまでの痛みだろうか? それともおもねりへの抵抗だろうか? きっとどちらでもないだろう。僕は――

 考えなければならないことはたくさんあったが、僕は眠りたかった。眠って束の間でもあの映像を忘れたかった。自分が嫌悪の裏で興奮した事実をなかったことにしたかった。疑問はいくつもある。二人の関係は同意の上なのか。それとも兄貴の強姦なのか。誰がテープを僕の部屋に置いたのか。なぜ僕にあんなものを見せたかったのか。あれはいつのことなのか。現実のことなのか。夢ではないのか。僕はどうすればいいのか――蛇口が壊れた水道のように疑問は尽きなかった。眠る心地には程遠い気分がどす黒く僕を取り巻いている。今すぐ腹の中身を全て吐き出したかったが、こんなときばかり吐き気は目を覚まさない。声を聴く。「プロセスはまだ続いてんのよ」。聞き覚えのある声だ。「これからも続くのよ。意地は大切よ。人間の生き方を決めんのは結果だけど、人間の生き様を決めるのはそういう意地なのよ」。

 浮かんだのは先生の顔だった。


   ◆


 翌日、予備校に行ったように見せかけるのはそう苦でもなかった。

 ビデオを見てから今日で五日目。朝食で親父と妹と一緒になって食卓を囲み、今日の帰りが遅くなると行って不在を印象付け、いったん家を出る。それから外でしばらく時間を潰してから家に戻り、自分の靴を持って部屋に戻る。最中は見つかったところで何もないと思いつつ緊張したが、終わってみれば透明人間の真似事をしている自分の馬鹿馬鹿しさが際立った。

 僕はくだらないことをしている。

 だが必要なことだと思おうとした。三日。そのあいだだけ僕は同じ事を繰り返す。その間に兄貴と妹が――ビデオの中と同じようなことをしたなら、先生を交えて親父に相談する。何もなければ、当面僕はあの出来事を忘れる。これからしようとしているのは、そういう賭けだった。あるいは儀式だ。心に区切りをつけるには、こういう馬鹿馬鹿しい行為も必要になるときがある。

 朝食を済ませた妹は母さんの所に食事を運んだあと、いつも通り自室にとじこもったずだ。今日に限って外出するということはまさかないだろう。

 兄貴も同じだ。今日はどこの会社の試験もないはずだし――それに、兄貴が本当は就職活動に身を入れていないことを僕は知っている。一流企業ばかり受けて落ちつづけているのがその証拠だ。どんな心の動きがその中であったのか、それは僕にはわからない。わかるのはこの家に来て兄貴は変わったということ――それとも以前の暮らしで僕が気付かなかっただけで、兄貴の本質はそういうものだったのか? その思い付きは、自分でも意外なほど苦痛だった。――それは、兄貴を心ひそかに尊敬していた僕の間抜けさの証明のように思えたからだ。

 今日、兄貴と妹はセックスするだろうか?

 具体的にすると、それはどうしようもなく気の抜ける質問だった。『兄』と『妹』と『セックス』。それが僕の思考で結びつく事実が信じられない。信じられないほど馬鹿馬鹿しい。対象を絞ったアダルトビデオか、でなければ漫画の世界のようだ。血の繋がった家族が! けだものみたいに!――そう憤る心を僕は持っていない。ただ純粋に気持ち悪い。不快感だけがある。

 馬鹿馬鹿しかろうとそうでなかろうと、僕はあのビデオを見た。あれが手の込んだトリックでないかぎり、兄貴と妹はインセストの関係にある。そして僕は岐路に立っている。期せず、望みもしなかった事実を知って、それに対する僕の『行為』を定めようとしている。

 兄貴の部屋は廊下を挟んで僕の部屋の向かいにある。ドア近くでその気配を探るのはうまくないだろう。僕は壁にはめこまれているクローゼットの中に身をひそめる。そこなら聞き耳を簡単に立てられたし、不意に誰かが部屋に入ってきても存在を気付かれにくい。

 すっかり体がクローゼットの中に入ってしまうと、ここでも馬鹿馬鹿しいという思いはちらついた。だがカビのにおいが漂う暗闇の中ではもう自嘲する気にもなれない。『クローゼット』の意味には洋服棚のほかにトイレや――そう、『秘密』という意味があると思いだす。僕は秘密《クローゼット》の中に身を置いている。家族の秘密に。そしてその秘密をどうするべきか迷っている。

 この期に及んでも、やはり僕は自分の行く道を決められていない。仮にこの三日の間に何も起こらず、兄貴と妹の関係を見て見ぬふりをしたとしても――それが問題の先送りに他ならないと思っていないわけではなかった。忘れられる保証などどこにもないのだ。

 だが、親父や先生にこのことを打ち明けたとして、それで何がどうなるかもわかるわけではない。別居を頼むのか? 離婚を勧めるのか? それとも金だけはあるという母さん資産に頼って、僕一人がこの家を出る? どれも現実味がないことのように思えた。家族と離れる、そんな未来はどうしても僕の中で現実感を手に入れられない――。

 暗闇は物思いをはかどらせるが、それはたいてい形を得ない。視覚の働かない世界は感覚を鋭敏にするが、僕に動かせる手足はない。呼吸する口があるだけだ。欹てられる耳があるだけだ。無為の空想を織る頭が有るだけだ。

 そうしているうちに、連日の寝不足のせいで僕の意識はだんだんとまどろんでいく。暗いクローゼットの中で、木の壁に頭をもたれさせながら。意味の無い疑問が浮いては消える。安心感が僕を包むのがわかる。子供のように僕は目を閉じて、ただ耳だけの生きものになる。僕がくるまで、この部屋は物置として使われていた。だからかもしれない。僕だけの部屋がずっと欲しかったから――やっと手に入れたこの場所に、こだわっているのかもしれない。

 それからいくつかの音と気配を部屋の外に感じたが、すべて兄貴のものだった。家の中をうろついて――恐らくトイレか食事のためだろう、すぐに部屋に戻ってくる。妹の部屋に行った様子はない。外出する素振りも。そのたびに僕は安堵とも落胆ともつかない息を落とす。馬鹿馬鹿しさが我慢できなくなりそうになる。いますぐこんな狭い場所を出て予備校に向かい、受験のための勉強をするべきだと思う。そうするのが正しいのは間違いなかった。だが始めてしまった以上、途中で止める気にもなれない。どうせ三日の間なのだ。減らしも加えもしない。三日だけ、――

 ――はっと気付いて顔を上げ、ハンガーに顔をぶつけそうになる。どれくらいの間かはわからないが、眠ってしまったようだった。クローゼットの通風孔の隙間からうかがえる部屋が暗い。僕は焦りながら時計代わりに持ち込んだ携帯電話を目の前にかざして、時間を確認する。

「四時――」

 もう隠そうとは思わずに舌打ちした。いつ眠りについたのかはっきりとはわからないが、数時間はゆうに経っているだろう。寝過ごすにもほどがある。これではあと一時間もすれば、ふだん僕が予備校から帰ってくる時刻とたいして変わらなくなってしまう。さらに二時間後には先生がやってくる。

 急激に力が抜けた。

 僕は何をやっているんだろう。

 今日はもう止めよう、とクローゼットの扉に手をかけるすんでに、

 妹が僕のベッドで横たわっているのが見えた。

 息が詰まる。反射的に体が緊張した。疑問に唇がわなないた。どうして――いつのまに。

 決まっている。僕が寝こけている間に部屋に入ってきたのだ。明かりの点いていない僕の部屋。クローゼットの右斜め前方にあるベッドの上にある窓から、陽射しは漏れていない。カーテンも閉じられていない。水彩みたいに淡い藍色を切り取った窓枠の下で、枕に顔を埋めるようにして妹が臥せっている。僕にかいま見えるのはその後頭部と黒髪が流れる背中、見慣れた寝巻きに包まれた矮躯の後ろ側だけ。表情は見えない。

 だがどうして妹がここにいる? おぼえるべき感情をはるか遠くに置き去りにして、混乱から芽生えた不審だけが頭を回転させる。なぜ兄貴の部屋でなく、僕の部屋にいる? そして人の布団に寝ていったい何をやっている?

 どう対応すべきかがわからない。こんなことになるなんて、僕はまったく考えていなかった。本音を言えば、兄貴と妹がそうしている現場を目撃したところできっと何もできないだろうとは思っていた。だから僕はそれをあらかじめ見過ごすことを決めていた。僕が行動を起こす選択肢はないはずだったのだ。だがこれは違う。役柄も台詞も教えられないままに舞台袖へ来てしまった役者の気分で、僕の戸惑いはどこまでも深まっていく。

 妹はうつ伏せになったまま呼吸に背筋を上下させている。僕の存在に気付いた様子は見受けられない。それは僕に与えられたほんの少しの余裕だった。まだ、『動かない』という選択は示されたままだ。そうだ。自分に言い聞かせる。妹は何をしているわけでもない。僕のベッドで寝そべっているだけ。僕の気分を損なう要素などありえないし、この場に兄貴はいない――

 ほんとうにそうか?

 一センチにも満たない区切りをはさんで自分の部屋をのぞく感覚が異常だ。緊張しているのかそれとも興奮しているのか、僕の動悸は上限知らずに高まっていく。横たわる妹から目を離せない。瞳が狭い隙間を通り越して何度も部屋の中を舐める。兄貴の姿を探しているのだ。――だがここに兄貴は来ない。それは当然だ。ここは僕の部屋だ。僕の世界だ。ろくでもないことばかりのこの家で、それでも僕が眠るためにある場所だ。兄貴には兄貴の部屋がある。兄貴は勝手にここには入ってこない。それはルールだ。

 だが妹はここにいる。僕よりもずっと自分の世界にこだわり、外を断ち切ってまで部屋にこだわっているはずの妹が。これは不規則ではないのか? 僕はそれを見過ごしていいのか? ここは僕の部屋だ。そこにことわりもなく入ってきて、妹はいったい何をしているのか。

 暗闇が思考を飛躍させて、強迫観念じみた穴に僕を陥れようとする。兄貴もここに来る、という迷妄がぐるぐると目の奥で回って僕を急かす。したくもない空想が闇の中で羅列されていく。今日はユルギの部屋でやるぞ、はい、じゃあ先に行って待ってます――くだらない。いまどきVシネマだってもっとましな台詞回しを使うだろう。

 きつく目を閉じる。また眠りに落ちることを期待して。視界が閉ざされると垣根は消えて、より明確に部屋の中の妹の存在が感じられる。なぜか僕のペニスは勃起している。なぜか?――妹が立てる衣擦れの音を聴いたからだ。僕のベッドでうごめく妹を見たからだ。それがどうしようもなくビデオの情景を連想させるからだ。鼻息も。かすかに揺り動かされている妹の体も。あの映像の中の妹に、あまりにもそっくりだ。

 はあ。はあ。はあ。はあ。

 それがどちらの呼吸なのか、どちらにしても耳障りな音には違いない。窮屈なクローゼットの中で僕はなんとか腕を持ち上げて耳を塞ぐ。だが映像は目をつむることで遮断できても音を断絶することはできない。鼓膜でも破れないかぎり。それもいいとすら今は思えた。何も音がしない世界――きっと気が狂いそうになるに違いない。だが僕は今だんだんと荒くなっていく妹の呼吸を聞きたくない。次に紡がれるに決まっている言葉を聴きたくない。

 なのに、聴いてしまう。

「お兄さん――」

 僕は、檻から飛び出した。

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[ 2005/12/27 01:25 ] 家族のⅠ | TB(0) | CM(0)
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