インクナブラ

 主に創作小説を掲載します。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

家族のイデア・5 

 五。




「…………え?」

 呆けたような声を聴く。同じ部屋の中に風を感じる。涼気が額を撫でてはじめて、僕は自分がひどく汗をかいていることに気付いた。垂れて目蓋をなぞっていく雫をぬぐいながら、ベッドの上で目を白黒させている妹に歩み寄る。

「え? あれ? え? お兄――うそ、なんでっ?」

 上ずった声がありありと妹の混乱を映し出していた。ベッドの上、身を起こした妹の頬が紅潮している。かつてないくらいの血色の良さだった。着崩れた寝巻きを素早く直しながら、妹が布団をこすって壁際にまで後退する。

「ど、どうして? いつから――なんで、帰って」

 うまく回っていない口がつむぐ言葉を遮って、

「なにしてるんだ」固い声が僕の口から漏れた。舌がねばついていた。「ここで。僕の部屋で、何してるんだ?」

 妹は答えない。それとも答えられない? どちらにも大した差はない。

「なにしてるのか、って訊いたんだよ、僕は」

 詰問をしている気分でもなかった。冒険じみたものに心を躍らせた瞬間も、ただひたすらに気色の悪かった感覚も、同時におぼえていたごまかしきれない性欲も、全て僕の手を離れてどこか遠くに行ってしまったようだった。僕を離れて僕が独り歩きしているような、という言葉なら近いかもしれない。天啓じみたただひとつの命令が、僕を動かしている。

 紅潮が引かない妹の顔で、瞳が揺らぎ光を反射する。――涙ぐんでいるのだと理解した。

「泣くのか?」苛立ちと嫌悪に満ちた声がこぼれる。妹が怯えたように目を伏せた。今の僕はきっといつかの兄貴とそっくり同じ、醜い顔をしているに違いない。「泣いてどうするんだ。それから? ごまかすのか。答えられないようにするのか? わざわざ自分の部屋を出て僕の部屋になんかきて、おまえは何をしてたんだ」

 妹は答えない。唇を噛んでうつむいている。僕はさらに詰め寄る。

「なんなんだ――おまえ。何がしたいんだ。どうしてここにいるんだ? どうして家なんだ。おまえが僕の妹なんだ」

 喋る内容はまるで支離滅裂だった。それは当然だ。僕だって自分が何を言いたいのかがわからないのだ。何を訊きたいのかもわからないのだ。ただ決定的な何かをしようとしている感覚がある。それが僕を喋らせる。慣れ親しんだ部屋の中にいておぼえる奇妙な接地感のなさが、黙り込む妹を難詰する兄、そんな構図を作り出している。

 これは現実のことなのか。本当にこれは今なのか。髪の隙間に見える妹の耳はいつのまにか紅から蒼白へと変わっていた。問い詰められて怯えている。自分の間抜けさを悔いているのだろう。妹は――巻島ミコトという少女はこんなにも打たれ弱い。叱られればすぐに謝るし、怒りを受ければ泣き顔を見せる。僕は妹のことを詳しくは知らない。だがその性格くらいは多少知っているつもりだった。好きではなかったが、可愛がろうという努力はしていた。ずっと。二年とはそういう時間だ。
 だがその時間も無為だったし、どうやら終わろうとしている。

「――出ていけ」

 かすれた声が漏れる。それを聴いた妹が顔を上げた。意を決した様子で眉をゆがめ、唇を噛んで、

「ごめ、ごめんなさい。でも違うんです。――じゃなくて、そうじゃなくて、あたしは、ただ、っ」

 嗚咽が端々に滲む声もブラウン管越しに聴く音のように現実味がない。妹はなおも何かをいい募ろうとする。

「――出てけっつってんだろ!」久しぶりに大声を出したな、とだけ思った。あとは止まらない。「行けよさっさと! なんで僕の部屋におまえがいるんだよ! 大人しく自分の部屋に閉じこもってればいいだろ、なんなんだよおまえは、意味わかんねえんだよ全然。どうして僕の部屋に来てんだよ! おまえ、おまえ――」

 怒鳴る僕の裏側で、拭いきれないわざとらしさ、空々しさを感じていた。自分が本当に怒っているのかどうかにも自信がない。そして慣れない罵倒は要領を得ない。僕が何に腹を立てているのかがわからないのだから、当然かもしれない。
 それでも絞り出すように。僕は妹へ声を叩きつけた。

「僕の部屋でも、兄貴とやったのか」

 乱れていた線が引き絞られたような感覚だった。真っ直ぐに。美しく。明快に。

 ――そうか、と心の底から納得した。

 結局僕は、自分の世界が踏みにじられたのが気に入らないのだ。
 そう理解したとき、僕の口が無感動に願いをこぼした。

「消えろ。いなくなれ。僕の目の前から。僕にさわるな。僕のものにさわるな」

 心からの声だった。全ての重荷が取り除かれたような爽快感が、体中に満ちていく。

「――おまえ、気持ち悪い」

 妹の喉の奥で、引きつったような音が漏れた。
 部屋が沈黙をとり戻す。――一瞬だけ。

 獣がうなるような声が尾を引いて妹の唇からあふれる。「うううぅぅうぅう」とそれは僕を威嚇するように響く。妹の顔が崩れる。表情の一つ一つが段階を踏んで剥がれていく。目、鼻、口、頬、全てが歪む。大粒の涙が僕の布団の上に落ちる。瓦解する――その、ほんの少し手前で、

「あたしは、ただ、終わらないようにしたかった、だけ、なのに」

 一度だけはっきりと呟いたあと、妹の慟哭が僕の鼓膜をつんざいた。小さい子供がそうするような癇癪だった。きっと隣近所まで響き渡っている。僕はもうそんなことを気にしない。『終わらないようにしたかった』? だから兄貴とやったとでもいいたかったのか? どういう理屈が妹の世界で展開されていたのかは知らないが、そんなものは僕とは何のかかわりもない。どちらにしろ妹の泣き言はひどく聞き取りにくい。僕はただ彼女を邪魔だとしか思えない。いつになったら泣くのを止めて出て行ってくれるのだろう?

 ――これで、何がどうなるのだろう?

 力が抜ける。

 奇妙に遊離した錯覚も終わる。

 泣き止まない妹を見つめる。

 同じように床に座り込んで、僕も泣いてしまいたかった。僕はもう何も考えたくない。三日も待つ必要なんてない。あのビデオを見せてしまおう。じき先生がやってくる。勉強を教えるために。親父も帰ってくるだろう。親父に全て話そう、と思った。先生に何もかも打ち明けてしまおう、と思った。そして全て、僕以外の人間に任せてしまえばいい。

 深くため息をつこうとしたそのとき、
 部屋のドアを何かが叩いた。

「……兄貴?」僕は呟く。騒ぎを聞きつけたのだろうか? ならば好都合だ。兄貴にも話してしまえばいい。元々問題は兄貴と妹のもので、僕が背負うようなものではなかったのだ。愛しあっていようがいまいがどうでもいい。血が繋がっていてもいなくても関係ない。僕の世界の外にいてくれさえすればいい。妹の嗚咽を背にのろのろとドアへ歩み寄って、僕はドアを開ける。

 そこには誰もいない。

 代わりに左手側――階下への階段とは反対方向、廊下が伸び、折れている方向――から、物音がしていた。重たいドアが閉まる音、強固な鍵がおろされる音。そちらにいるのはただ一人、

「母さ、ん?」

 いつもならまさかと思ったかもしれない。母さんの部屋が開閉される音なんて、この二年で一度も聴いたことがない。
 だが、今は心動くこともない。そんなこともあるのかもしれないとだけ思う。感慨はなかった。親父に見せられた写真でしか知らない母さん。部屋から一歩も、一度も出てこない母さん。そんな人間はいないのと同じだ。今まで通り、これからも僕が母さんを気にすることはないだろう。

 首を振って、視線を廊下の奥から戻すと――

 ちょうど僕の部屋のドアの真正面に、カセットテープが置かれていた。僕は動きを止める。床に無造作に置かれたそのカセットを見つめ、次に視線をまた左側に戻す。

 ――まさか。

 浮かんだ閃き振り払うようにカセットへと手を伸ばす。確認すると、テープは完全に巻き戻されている。デッキに入れて再生すれば映像は流れるだろう。もちろん録画がされていればの話だが――今度はどんな状況が撮影されているのだろう。嫌悪や不快より強かったのは気だるさだった。疲れた。純粋にそう思った。

 部屋に戻ると、妹はもう泣き止んでいた。だが、まだベッドの上にいる。むくんだ顔には涙のあと。目はアルビノのように充血している。考えることを止めてしまったような表情は、陵辱された乙女のようだ。だとすると、彼女を犯したのは僕だろうか? だがそれよりも先に、僕は侵されたのだ。

「ミコト」

 穏やかに呼びかけると、妹は何かを期待するような眼差しを向けてきた。僕は手の中にあるカセットを示して、

「おまえ、これ知ってるか?」

 妹はじっとそれを見つめたあと、首を振った。

「……ごめん、なさい。知りません」

 そうか、と僕は頷いた。嘘は疑わなかった。

 会話が途切れる。妹はもの問いたげな顔を崩さなかったが、僕は取り合わなかった。たとえば言ったとする。「このテープにはおまえと兄貴がやってる場面が撮られていて、それを見たせいで僕がおまえとの間に積み上げてきたものは全部なくなった」。妹はどう反応するだろう。その反応を見た僕は何を思うだろう。それはわからないがしかし、何ひとつ好転することがないことははっきりしている。

 しばらくすると諦めたのか、今度は泣き出すようなこともなく、妹はぎこちない動きでのろのろと立ち上がると、ベッドを降りる。寝巻きの裾から見えた足は骨が浮いている。握りしめればかんたんに折れてしまいそうだ。それでも体を支えるのに不足はないらしく、歩くことはできている。

 妹はもう僕を見なかった。視線は床に落ちたまま、この部屋を出て行こうとしている。僕は結局、妹がなぜここに来たのかさえわからないまま、

 嘘だな、と呟いて、ベッドに腰を降ろす。そんなわけはない。見て見ぬふりをしていただけだ、僕は。今までと同じように。
 妹の背中に声をかけた。

「なあ」

 足が止まる。

「兄貴とは、無理やりだったのか?」

 妹は半分だけ顔を振り向かせて――僕はそこに、凄艶な笑顔を見つけた。
「秘密」

 ドアが閉じた。

 ため息が落ちる。もちろん僕のものだ。勢いのまま体を倒して、天井を仰ぐ。木目を数えようとして、すぐ止めた。何もする気が起きない。僕と虚しさだけが部屋に残されたものだった。さっきまでの激情は嘘のように消えている。

 うまく、考えがまとまらなかった。ただ、終わりなのか、という確認のような呟きが自動的に漏れる。二年。この異常な家庭が持続した時間。それは長かったのか、それとも短かったのか、あるいはどちらでもなかったのか。――この終わりに僕が今寂しさを感じているとするなら、我ながら最低だと思った。

 時間を確認する。五時まではもう数分というところだ。先生が来るまでにはまだ二時間以上間がある。親父と合わせて兄貴と妹のことを何もかも打ち明けてしまうなら今日はおそらく勉強どころではないだろう。予備校も一日サボってしまったことだし、勤勉な受験生としてはその埋め合わせするのが正しいのかもしれない。

 だが今、僕の手の中には新しいテープがある。誰が僕に渡そうと思ったのか。妹が来るまで眠ってしまった以上断言はできないが、消去法的に考えれば候補者はもう二人に絞られている。少なくとも、僕の中では。

 僕はいいかげん慣れた手つきでカセットをデッキに入れる。それから最初のテープを思い切り叩き壊そうとして、止めた。言葉だけで信じてもらえればいいが、結局このテープも親父には見せることになるだろう。場合によっては、先生にも。

「さて、今度はなんだ」

 テレビとカメラ、接続されたケーブルを介し、記録が映像となって流れ出す。以前は兄貴と妹だった。そして――

 今度は親父と先生だった。




スポンサーサイト
[ 2005/12/27 01:28 ] 家族のⅠ | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。