インクナブラ

 主に創作小説を掲載します。

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家族のイデア・6 

 言い訳したくなってきた。
 しかし弱音はグッと飲み込んで、いよいよ(無理やりな)クライマックス。




  ◆


 部屋から廊下までは二足だった。僕は滑るように廊下を駆ける。体を動かすのはまたしても混乱だ。さっきの妹への対応にしても、僕はこんなに頭の悪いやつだったのだ、と改めて思い知らされている気がして少し苦い気分になる。だがそれは心の片隅の動きに過ぎず、僕はもともとそう長くはない廊下の果て、母さんの部屋の前にたどりつく。

 ドアは別の世界に通じる門のように大きく、頑丈そうで、気を抜けば僕を圧倒しようとする。一瞬萎えかけた自分を無理やり鼓舞して、僕はノブを回した。だが動かない。いくら力を込めても。揺さぶっても。びくともしない。鍵が掛かっているのだ。
 ならば、どうしようもない。

「あ、――」

 にわかに僕は勢いを失って――

「入りたいのか、そこに?」

「……兄貴」

 振り向いた先、照明もついていない暗がりにも、部屋着に身を包んだ兄貴の姿は見える。僕は口を開こうとして、――それができずに黙り込んだ。少しの間頭からは全てのことが吹き飛んでいたが――妹とのことがある。何を言えばいいのかわからなかった。

「話はあいつに少し聞いた」だが、なんでもないことのように兄貴はその一線を踏み越えてきた。「ばれちまったんだってな」

 その物言いがあまりにもいつも通りだったから、僕もついいつもの調子で言ってしまう。「……言いたいこと、そんだけ?」

「そんだけもなにも」兄貴は肩をすくめた。「ばれたら言い訳なんてできねえだろ。浮気とかとはわけが違うんだからな。知られたら、そこで終わりだよ」
「終わりって……」信じられない開き直り方だった。妹とは大違いだ。僕は言葉をなくす。
「ただ」構わず兄貴が言った。「どうしてばれたのかは、ちょっと気になる」

 僕は少し迷って、

「ビデオ」結局正直に答えた。「誰かは知らないけど――たぶん母さんだろうけど。兄貴とミコトの……その、場面を撮ったテープが、部屋に置いてあった」
「母さん?」兄貴が眉をひそめる。「――いや、それはいいか。ビデオって、今おまえの部屋で流れてるあの趣味の悪いやつもか」

 ――ということは、兄貴も親父と先生の関係を知ったことになる。だが驚いている様子がない。ひょっとして知っていたのだろうか? 首を傾げながらも、僕は頷いた。兄貴に質問を許す雰囲気がなかったからだ。

「――俺とミコトのもあったって? それを、その部屋の中にいるやつが撮ったって?」

 僕の再度の頷きを待たず、兄貴がこちらに歩み寄ってくる。反射的に身構えるが、兄貴はあっさりと僕を素通りした。ドアの前に立つ。つるりとしたオークの感触を楽しむように指の腹でドアの表面を撫でる。

 その手には、古めかしい金属製の鍵があった。

「なあ、ユルギ」兄貴が僕の名前を呼ぶ。平坦に。「どうして母親がおまえにビデオを見せた、って思ったんだ? おまえに俺とミコトのこととか、親父とあの女のこととかを教えたのが『母親』だって、どうしてそう思うんだ?」
「どうしてって――」僕は答えに窮する。母さんのことを思いついたのはほとんど反射的で、深く考えたわけではない。「さっき、こっちで音がしたんだ。ドアが開く音が。だから」
「それだけか」
「――あとは、ただ、組み合わせが」
「組み合わせ?」兄貴はけげんな顔を見せて、「――ああ。なるほど。余ってるのがおまえと母親だけだってことな。なるほど、それでか。凝ってるな、ずいぶん」
「……凝ってる? 兄貴、さっきから」

 もったいぶった言い回しをして、いったい何を言おうとしているのか。

「おまえさ、」そこで少し迷うように、兄貴の言葉が停滞した。その手の中では鍵がもてあそばれている。「……おまえさ、この家、好きか?」

 好きだった。今までは。少なくとも好きになろうとはしていた。

「俺は――嫌いだ。大嫌いだ。うそばかりだ。この家は」

 疲労が言葉の結晶になれば、そんな音になるかもしれない。兄貴の目は、光の加減のせいか泥のように濁っていた。

「兄貴?」
「この家に来てから、もう全部おかしくなった。そりゃ金は手に入ったみたいだけどな。でもその代わりに前あったものはぜんぶなくなったんだ。親父はもうずいぶん長いこと働いてねえし、俺だって働く必要がない。働くって金と時間を交換するってことだろ? そうじゃねえ人もいるんだろうけど――俺も親父も、仕事を生きがいにするには根が怠け者すぎんだよなぁ」

「……は?」僕は兄貴が何を言っているのかわからない。ただ呆けた顔をするしかない。親父が働いていない? 何を言っているのだろう。親父はきちんと毎日定時に家を出て、帰ってきている。「なに言ってるんだ? 兄貴、頭、大丈夫だよな」
「――ま、たぶんな。いつ狂うか不安だったけど。でも、それも終わりだな、もう」

 自嘲のような呟きだった。兄貴が手に持った鍵を、目の前にあるドアの鍵穴にさしこむ。抵抗なく、それは根元まで埋没した。

「俺がここに入ったのはいつだったっけな。一回だけなんだ。ええと……そうだ、おまえらがあの女と三人で勉強してる時だな。もう就活とかがむちゃくちゃだるい時期でさ。そういえば親父が働いてないって知ったのもそのころだった。あんときはいきなり色んなことがおかしくなってて――よく考えたら、今のおまえとおんなじか」

 急な告白――告白? 告白なのか、これは――に僕が戸惑う間にも、兄貴の手は動いている。ぴたりとはまりこんだ鍵は滑らかに回る。

 がちゃん、という音が、あっけなく響いた。

「親父はもう駄目だな。あれはもう完全に魔女の虜だよ。でも――だから俺は、駄目になる前にこれを終わらせようとしたんだけど――なんだかな。結局最後、おまえが気付くまで付き合うはめになっちまった。いや、ほんとはもっとぎりぎりまで引張らないと駄目らしいけどな、何しろ主役がもう続けられないって泣き入れちまったんだ」

 兄貴が扉を開ける。何でもないことのように。くだらない手品のタネを明かすように。

「――毒ガスを吐く匣の話は知ってるか? まあこれも似たようなもんだ。ええと――自閉環境、汚染拡大、観測実験だっけかな。名前なんてどうでもいいか。とにかくほら――」
 二年の間。誰の目にも触れられずにいた母さんの部屋が、僕の目の前にあった。

「これが、我が家の母親の部屋だよ」

 部屋の中には何もなかった。
 誰もいなかった。
 魔女はどこにもいなかった。







 巻島家の家族は五人。配役は以下の通り。
 巻島宗一=家長。妻/母親=葉子。長男=光治。次男=揺木。長女=三言。
 ※『葉子』は架空の設定であり、実在はしていない。
 当実験は、一個単位の家庭における特殊因子の影響の観測を目的としたものであり、並びに――
 


   ◆



 深夜を回った。僕は目を覚ます。もともと昼間にクローゼットの中で馬鹿のように眠っていたから、睡魔は簡単に散った。欠伸の名残を噛み潰しながら、僕はベッドから体を起こす。

 二年間を過ごした部屋は、真実がどうであろうと僕の部屋には違いない。その事実は損なわれない。

『簡単に言っちまうとな、売ったんだよ、親父は。自分を。俺たちを。家族、まるごと。頭おかしい連中の頭おかしいイベントに』

 ――予感があった。だから僕は目を覚ました。そう考えるのは感傷的に過ぎるだろうか?

『籍なんて入ってねえんだよ。一年前に確認したんだ。謄本はさらのまま。俺たちの母親――ほんとうの母親はやっぱりとっくに死んでて、それ以来親父は再婚なんてしてない。戸籍に新しい妻の名前もない』

 カーテンを開ける。五月の夜の月は明るい。

『ちょうど二年前、親父はリストラされててさ。笑えるくらいありがちな話だろ? まぁ有能じゃねえとは思ってたけど、そこまでじゃなくてもなあ。でさ。当然俺やおまえはまだ学生だし、金がないことにはどうにもならない。そこで責任感ばっかり強いあの馬鹿親父は、怪しげだろうとなんだろうと儲け口を探し出した。どこでこんな話に乗っかったんだか乗っけられたんだかは知らねえけど――女かな、やっぱり。それくらいしか取りえねえもんなー』


 死に絶えたように夜は静かだ。眠気はまったくなかったが、眼を閉じればすぐに眠れるだろう。

『主旨は俺もいまだによくわかってねえよ。ただ、いかれてるってのはわかる。要するにあれだ、「開けるな」って言われた宝箱を前にしていつまで我慢できるかってハナシ。それと――家庭単位にいきなり混入した「異常」が、健全な家庭をどれだけ汚染できるか。……わかんねえって面だな。俺もよくわかんねえ。ただいかれてるってのはわかる。こんなアホな大仕掛けを思いついて実行するやつも、金目当てにそれを呑む親父も。――それに、俺も』

 静か過ぎるせいで、どんなに足音を殺していても階段を上る音を僕は聞き取ってしまう。

『――信じられねえのはあいつだよ。まだガキなのにな。それとも見た目通りじゃないのかもな。答えてもらったことはねえけど。――ったく。いや、おまえに軽蔑されても仕方ねえとは思うよ。でもそれを置いたって異常だ。この家でほんとうにいちばんおかしいのはあいつだ――』

 こんこん、と。

 まるで家族の部屋を訪れるような気軽さで、ドアがノックされた。

「入れよ。鍵はかけてない」
「――それを言うなら、『鍵がついていない』でしょう?」

 答えはいつも通り、控え目な声が返した。『向こう側』からノブが捻られる。

「こんばんは、お兄さん」

 いくらか憔悴した面差しに見えたのは、僕の気のせいだろうか?
 妹を名乗っていた少女が妹でいる最後の夜、僕の世界に足を踏み入れた。

『魔女ってのは、よく言ったもんだ』
 


   ◆


「――結局さ」僕は『妹』を真正面から見て、言った。「全部嘘だったってことか?」

 妹は曖昧に肩をすくめるだけだった。

「答えてくれてもいいんじゃないか? 僕のことあれだけ見事に騙しておいてそれはないだろ」
「――光治さんは、最初に〝このこと〟を知ってもずいぶん長いこと認めなかったんですけど。お兄さんはもう消化できたんですか?」

 質問に質問を返される形だったが、とくに怒りはおぼえなかった。いいかげんあまりにも現実感が遠のきすぎて、頭がフリーズしているのかもしれない。つまり、クールだということだ。

「正直全然理解できてないな。だから訊いたんじゃないか。嘘なのかって。僕は頭悪いから――単純なふうにしか
、訊けなくて悪いけど」
「そんなことないですよ」妹は儚げに笑った。「よくあたしに勉強教えてくれたじゃないですか」
「まあ、お世辞として受け取っておく。――で、どうなんだ」
「しつこいですね、お兄さん」観念したという意味なのか、舌を出して、「……そうですよ。嘘でした。お母さんは最初からいません。あたしの妹兼母の、一人二役だったのです」

 実際にあっけらかんと言われてしまうと、どうしても冗談のような雰囲気がぬぐえない。だがこの場で冗談を言ったところでもう意味はないのだから、大人しく受け入れるべきなのだろうが――。

「いや、まだだ。疑問がある。けっこう」
「え、そんなにありますか……?」妹が不安そうに眉をひそめる。「なんだろう……」
「まずは飯の問題だよ。あれは朝晩母さ――あの部屋の前に置かれてて、次の日や夕方になればカラの食器が置かれてた。ずっとおまえか親父が運んでればそのへんはごまかせただろうけど、僕だってあそこにトレイを持っていたことはあるし片付けた事ももちろんある。たとえばおまえがずっと部屋にいて母さんのふりをしてたとして、ずっとその出入りを見られないなんてこと、ありえないだろ」

 妹がいたずらっぽく笑った。

「ほんとうにそう思う? あたしと光治さんがエッチしていたのに一年も気付かなかったのに」

「それはそれだ」しかめ面をして僕は答えた。
 妹はそんな僕を見て目を細めている。

「――これもタネをばらしちゃうと簡単なことで、実は隠し通路があったんですよ。ほら、構造上あたしの部屋の真上があの部屋にあたるんです。それで、クローゼットの中に梯子が繋がっていたり。それであたしの部屋を経由してごはんとかを食べたり捨てたりも」

 思わず呆れて、僕はベッドに腰を落とした。

「……忍者屋敷かよ。魔女とかいうわりにはえらいせこいな。じゃあ、ときどき聞こえてたトイレとかシャワーなんかも――」
「演出ですね」あっさりとした答えだった。「質問はそれだけですか?」
「うん、まあ――そうかな」

 他にも訊きたいことはあったが、どうしても知りたいというほどのことではない。開かずの間の謎が安易な隠し通路で片付けられて拍子抜けしていたということもある。だが、今や僕の中では考えるという行為そのものが虚しくなっていた。兄貴と妹について頭を悩ませたことも――それ以前のことも――杞憂どころの話ではなく、ほんとうの意味での無為で、道化だったのだ。しばらくは本物の阿呆みたいになっていたかった。

「じゃあ、あたしも、訊きたいことがあるんですけど」
「僕に答えられることなら。とりあえずはどうぞ」

 妹の顔が真剣なものに改められる。影に立っているせいで細かい表情は見えないが、それくらいは雰囲気で察せられた。

「お兄さんは――ほんとは最初から疑ってましたよね。結婚とか、お母さんのこととか――あたしのことも」
「……ふうん。どうしてそう思うんだ?」
「ずっと、近くで見てましたから。初めてあった日から、ずっと」

 それは異議を申し立てる余地もないほどにきっぱりとした口ぶりだったから、僕もあえて否定はしなかった。――だいたい、僕はもともとあまりこらえ性がない性格なのだ。いきなりの結婚とかその再婚相手が超弩級のひきこもりだとかその娘が実は腹違いの妹だとか、そんなものをまともに信じ込むには相当の能天気さが要求されるだろう。僕が能天気ではないと強硬に主張するつもりはないが、そこまで鈍感だとも思いたくない。

「そうだとして、それがどうかしたのか? おまえ――ってこれがいまいちよくわかってないんだけど、『おまえたち』なのか?……まあとにかくそっちにはその方が都合が良かったんだろ?」
「それは、そうですけど」妹が口調に苦いものをにじませる。「訊きたかったんです、ずっと。いつだって気付けたのに、気付かないでいた理由」

 妹が一歩僕に近づく。その顔が月明かりにさらされる。抜けるような、という表現がぴたりとくる白さはどこか死人じみていて――たしかに魔女に見えなくもない。

「あたし、思うんです。同じだから、わかると思うんです。お兄さんは、この家が好きで、だから守りたくて――」

 だが魔女らしくもなく、意を決するように妹は深呼吸して――

「ねえ、ほんとうはあたしのこと、好きなんですよね?」

 そう口にした。

「だから光治さんとのことを知ってあんなに怒ったんですよね?」矢継ぎ早に妹は続ける。まるでそれが呪文だとでも言うように。「ずっと怪しんでたのに見ない振りして。続くわけないのに二年も続けて。あたしのことをほんとの妹みたいに可愛がってくれて――」

「ちがうよ馬鹿」ギロチンの刃さながらの無情でもって、僕はその呪文を断ち切った。「それはおまえ、自意識過剰すぎ」

「じ――」

 妹の顔が凍りついた。僕への接近も止まる。

「――たしかに前半はあってるよ。兄貴とのこと知ってちょっと精神的にキたのも認めるよ。でもそれはもう、ほんとにおまえのこと妹だと思ってたからだ。知ってるだろ? わかるだろ? 自分への嘘はつきつづけたらほんとうになるんだ。それだけのことだ。つーか今だってそうだよ。わけなんて全然わかってない。何が嘘で本当だとか――もう、頭の中めちゃくちゃで――消化? そんなものできるわけないだろ。何ひとつ、ぜんぶ、嘘で、ごまかしで、いんちきで――そんなの、認めるなんて――」

 妹の言う通り、この二年間、僕は不自然すぎる不自然に目を瞑りつづけてきた。見ないふりをしつづけてきた。なぜならそれをすることが、今の――ようやく手に入れた僕の『世界』を持続させる唯一の術だと理解していたからだ。やっと手に入れた、ずっと欲しかった、僕だけの世界を、どうしていっときの癇癪に任せて捨てられるだろう? 僕は惜しかった。手に入れたものが大事だった。偽ものだろうとまやかしだろうと――

「――できるわけ、ない。そんなこと」

 それを、諦められなかった。
 それだけのことだ。

「そこに、おまえの気持ちなんか関係無いよ。むしろ邪魔なくらいだ」

 僕は妹を除けて立ち上がる。ドアに手をかける。

「……じゃあな。よくわからないけど、今夜で最後だっていうんなら、兄貴とか親父とも話すことくらいあるだろ。僕は、――っ?」

 脇腹に熱を感じた。
 視界に銀色が閃いた。
 赤い飛沫が飛ぶ。

「心配、いりませんよ」

 手に持ったナイフを頬にかざして、妹は哀しげに微笑んだ。

「――二人とも、そろそろ死んでいます」
 


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[ 2005/12/27 01:34 ] 家族のⅠ | TB(0) | CM(0)
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