インクナブラ

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まんがの話とフィクションにおける天才の事 

 タイトルまんま。クソ忙しい割に一向に作業の進まない年末に、何とも暢気な漫画話、略してマンバナとかしちゃおうぜという趣旨。
 
 イブニング。
 モーニングの兄弟誌の。
 既に私的に空気になりつつある最近のモーニングに反して、このイブニングが最近アツい。というか単に日本橋ヨヲコの新連載が嬉しいってだけだけど。
 この人の漫画は、ヤンマガでやってた「極東亜天国」もIKKIの「G戦場~」も、根底にあるのは「青春」で、今度のバレーボールなんかは題材からして青い春。
 一話は面白かったけど、人物を出しすぎな感もあった。正統派群像劇をやりたいんだろうな、というのは伝わる。

 あと例によって「昼行灯だけど実は凄い」系キャラがいた。他にいつも天才を主題に置く作家というと、漫画家ではシャカリキの人(チョイスは個人的趣味)、あるいはちょっとズレるけど新井英樹とか、小説家では森博嗣などが思いつくけれど、なにか、天才というのはそういう魅力があるんだろうか、と勘ぐってしまう。

 といっても、フィクションで描かれる「天才」というのは良くも悪くも偶像的で、偶像的人物造型なんてフィクションの専売特許なのだから、掘り下げられるのも道理かもしれない。
 テーマに関わらなくても、コマとしての天才なんて、フィクションの世界では石を投げれば当たるというくらいいる。
 この際たとえばフィジカルな面での「天才性」を強調するのは結構容易い。基本的な能力の規格を常識ラインから引き離すだけで、「そういうもの」だと受け手側を納得させることが出来る。よっぽど現実離れしない限りは。

 ただ、他の人はどうかわからないが、個人的にフィジカルでずば抜けた能力を保有している人を「天才~」と呼ぶのはどこかピント外れな気がしている。それはそれで凄いことは、もちろん認めるにやぶさかでない。
 ただこういうパターンの方が、創作として描写する場合楽なのは確かだ。その分、ありきたりさは拭えなくなる。

 ここで問題となるのは、主に頭脳面で天才ぶりを発揮するキャラクター(と言い切ってしまう)。これに関して昔から何度も言われてる言葉がある。いわく、
「作者より頭がいいキャラは描けない」。
 けだし真理。創作に限ってはとんびが鷹を産むことはない、ということか。
 それを承知で天才を描写する場合は、色々な先人を参考にしてみたりして、結果的に類型的になるわけだ。十台で大学を卒業したとか、電卓みたいに計算が速いとか、そんな具合に。
 でもこれはキャラクターに付与された天才としての「記号」でしかなくて、実際的にそのキャラクターが天才だと設定以上の次元で認知されることはほぼありえないと言っていい。少なくとも私は知らない。
 要はフィクションにおける「天才」は、「絶世の美人」なんかと同じ、探せば現実にはいるけれど、決してリアルではない、形而上と形而下をうろうろする形容詞なのであった、という話。

 しかしこの法則にのっとりつつも一段進化したのが、いわゆる「ミステリ」ではないか。――と思うのだけど、脱線になるので捨て置く。
 そもそも「天才」という言葉が示すもの自体偶像的であるから、こういう思考もバイアスがかかってるといえばかかってるんだけど、ま、聞き流してくれると嬉しい。

 しかしまあ、色々と興味深い存在なので、一度は現実に会ってみたい。

 ……とにかく日本橋ヨヲコの作品は、青臭さが気にならない人ならおすすめ、まる。
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[ 2005/12/28 02:58 ] 日記 | TB(0) | CM(0)
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