インクナブラ

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弧人の群・3 

 早朝更新。
 トリック見てたり出かけたりする内にせっかく書いたものを三日も放置して、いきなり口約破りだぜ!
 とりもなおさず(便利な接続語だ)弧人の群三回目更新。なんか事件風味。

――――


 なにかよんどころのない事情があって冷水を被らなければならないときにするべき、三つの心得がある。ひとつは覚悟すること。ふたつめは決していきなり全身を水に浸さないこと。最後に、なるべくならそんな馬鹿な真似をせずに済む別の手段を講じるよう頭を働かせること。

「おい! 生きてるか! 大丈夫か!」

 三つ目の作法を一瞬脳裏に浮かばせたルゥだったが、水難からの救助は一刻を争う事態だというおぼろげな記憶が踏ん切りを手伝った。飛沫をあげる川瀬の中腹で、突き立つ棒切れに引っかかるようにして浮かんでいる人間を睨むように見据える。顔を水に沈めたままぴくりとも動かない背はまるで中州だ。そして流れに押されるままに力なく投げ出された両の腕は水草だった。

「生きてるなら返事をしてくれ! ていうか自分で起きて泳いでくれ! おーい! やっぱりだめか……」

 あれは生きてはいないだろう。だったら放っておいてもいいはずだ。そうルゥは思うのに、「もしかしたら」という希望的観測は彼の背を押し続ける。結局はやるしかないのだ。まなじりを決してルゥは右足のつま先を水に浸す。その側から脳天まで痺れるような冷気が体に這い上がってくる。歯を食いしばって脹ら脛までを沈めると、足の裏がぬめった水底を捉えた。深度だけは不安だったが、どうやら大丈夫だ。ルゥは確信した。水は底を見通せるほど澄んではいない。しかし記憶どおりなら、このあたりの水深はせいぜいルゥの腰までのはずだった。
 水面に浮く背中には、あとほんの数歩前進して腕を伸ばせば手が届く程度の距離だ。けれどたったそれだけの道程が、早瀬と身に染み入ってくる寒気のためにやたらと遠く思える。
 放り込む勢いで、ルゥは残った足を思い切って河流へ踏み出した。すぐさま、ことによると冷気よりも厄介かもしれない抵抗が両足にからみついてくる。負けじと腰を据えて前進を開始すると、ざんぶと水が跳ね上がり、数滴のつぶてがルゥの頬を打った。
 背筋を震わせながら、ルゥは早くも垂れかけていた洟をすすった。労苦が報われない予感は、この時点ですでにひしひしとしていた。


――――


「くそ」

 歯の根を震わせながら、ルゥは冷水に晒された両足を布で摩擦する。すでに指先の感覚はなかった。これで足の指と永遠にお別れだなんて、ぞっとしない話だ。

「おまけに骨折り損だし」

 と不平をこぼして、ルゥは隣に転がる死体を見下ろした。
 予想していなかったわけではないが、決死の覚悟で引き上げたのは、既に死んだ男だった。樹林帯を根城にする猟師がよく着込む、獣の皮をなめした上着をまとっている。さっきの少女のような異邦人ではないようだった。
 当然ながら死体はぴくりともしない。不自然な体勢で四肢を強張らせ彫像と化している。しかしおかげで陸に引き上げるとき以外は存外に楽に運べたのだから、その点に関してルゥに文句はない。感謝してもいいくらいだ。
 しかし、腑に落ちない点はいくつかあった。
 まず、男がいつ死んだのかだ。毛髪が凍りかけていたくらいだから、息を引き取ったのが一時間や二時間前ということはないだろう。だとすると、ルゥがひとりで慌てて死体を水揚げする必要はなかったことになる。
 それはいい。貧乏くじを引くのは慣れている。足に温もりが戻るのを感じ、皮膚にかゆみを覚えながら、ルゥはうつ伏せの死体をじっと観察した。
 そもそも猟師が流水路に落ちて死ぬなんてことがあるのか。ルゥにとっての最大の引っかかりはそこにあった。猟師は都市や農園に安住せず、自ら厳しい環境に身を置き自然を伴侶とすることを選んだ人々の末裔だ。彼らは誇張ではなく、生まれた瞬間から土地での生き方を叩き込まれる。独立し、自活することが彼らの誇りなのである。注意の足りない子供や気が散じた老人ならばともかく、見たところ死んでいる男は働き盛りで、到底不注意で水路に落ちるような間抜けには見えない。
 男は顔面を凍てつかせ、半ばまで閉じられたまぶたから生える睫毛まで霜に覆われている。そこから死の直前に男が浮かべただろう感情はほんの少しも読み取れなかった。他に、異様なむくみや腐敗の兆候は見られない。それに水死体に共通する体の肥大や、大量の水を飲んだ気配もない。一見して、綺麗な死体といえた。

「……ん?」

 皮膚を揉み解しながら血行を促進させようと努力するルゥは、男の衣服に赤い斑点を認め、眉をひそめる。無言のまま死体を裏返すと、今度は腹部と胸部に黒ずんだ赤が大きな染みをつくっているのが見えた。
 凍瘡には見えない。間違いなく刀創だった。あるいは、槍だ。

「うわ。えっと、これ、血、だよな……」

 見間違いであることを祈ったが、見れば見るほどそれは乾いた血のあとだった。

「と、いうことは」

 水に浸っていたにも関わらずはっきりと血痕が残っている。それが示すところはひとつだ。つまり男は刺された後で、流水路に落ちたか、あるいは捨てられたのである。異様にものを知っているリュシアンならばもっと詳しいことがわかるかもしれない。とりあえず男の死因は溺死ではない、ということだけはルゥにもわかった。
 それに、死体が明らかな他殺体であるこの場合、発見した自身の立場が多少危うくなるということも。

「波乱に満ちてきたな」心底嫌気を込めてルゥは呟いた。死体なんか引き揚げるんじゃなかった。いやそもそも親切心なんか起こすべきじゃなかった、と思うべきか? でもあの場合はほかにどうしようもなかったのだ。「まずいな。どうしよう」

 いやしくも領主のもとで働く領民の義務としては、ただちに保安員(コンスタブル)に通報するのが正しい。彼らもまた領主が組織する私兵でありいわばルゥの同僚ともいえるのだが、あいにくとルゥはとある事情から彼らからは蛇蝎のごとく忌み嫌われていた。不用意に発見者として名乗り出れば、ここぞとばかりに詰責されるのは想像に難くない。
 また、いまのルゥがリュシアンの世話人として行動している点に最大の問題があった。詳しい事情は何一つ聞かされていないルゥだったが、リュシアンのことを関係者以外に漏らした場合、裁判を含む定められたすべての手順を省略して重罰が下されることになっている。それだけに保安員にはそれとなく平時のルゥの行動には関わらないようにという旨の命令が渡っているはずだが、他人への過剰な期待は禁物だ。とりわけ、自分に悪意を持つ人間に対しては。

 隣で永遠の眠りを満喫している厄介の種を凝然と見て、ルゥは口を結んだ。『それ』は魂の抜けた体である。生きているのならばなんらかの手の施しようがあったのかもしれない。しかし生者が死人にしてやれるのは、祈りを捧げることだけだ。付け加えるならば、それは僧の仕事だともルゥは考えていた。

「いや」

 できることはまだある。ルゥは思いつきに手を打った。
 弔いだ。

「……そういうわけで、埋めるのはどうだろう」

 そう漏らしたとき、近づいてくる気配があった。一種類ではない声と、地を踏む複数の足音をルゥの耳が捉えていた。
「げっ」
 後ろ暗いことは少ししかないとはいえ、傍らに死体を寝かせている状況である。ルゥが座り込んでいるのは土手の傾斜の根元なので、普通に道を歩いている人間には伏せていれば目視されることはないだろう。しかし、そもそもこのあたりには水路以外に目ぼしいものは何もない。道を歩いている人間には見えないということは、水路に下りようとする人間には一瞬で見つかってしまうということだった。
 思わず脱いだ外套と靴を抱え込み、逃げる算段をつけようとしたルゥを呼び止めたのは、張りのある声だった。

「ルゥ!」
「うわ!」

 一瞬だけ身をすくめ、観念して土手の上を仰ぐ。名指しで呼ばれた以上、ここで逃げる意味はもはや失せた。それ以前に、彼の名を呼んだ人物を、ルゥはよく知っていたのだ。
 称呼の主は馬上の人だった。やや色あせた金髪を短く切りそろえた、少年のルゥと比べても上背のある少女だ。その髪も先ほどの声も挑戦的に釣りあがった瞳も、ルゥにとっては馴染みのものである。

「……お嬢さま」
「うん。おはよう、ルゥ」

 危なげなく下馬した管区領主の末子、アルマ・ドラクロワは、ルゥの姿を認めると何のためらいもなく斜面を下り始める。その背後で露骨に自分を無視する数人の従者の姿を認めて、ルゥは人知れず肝を冷した。

「なんだ、どうしたんだ。こんなところで」息を弾ませて近づいてくるアルマの顔は、ぱっと見そうとはわからない程度にほころんでいる。
「あ、いえ、水を汲みに」
「水だと? 水なら屋敷にもあるのに……ああ、そうか。修道院の近くだったな、ここは」

 そこまで言ったところで、アルマは渋い顔で言葉を切った。彼女はルゥがここ数年、リュシアンの世話にかかりきりになっていることを知っている。付け加えるならば、そのことをあまり歓迎もしていない。むしろ積極的に反対しているといってよかった。
 もっとも、リュシアンについてはアルマの一存でどうにかなることではない。彼女は名目こそ領主令嬢だが、その実態は妾腹の身分である。貴族である父性を名乗ることも許されておらず、父であるところのラランド領主に直接意見する権利もなかった。

「なんでっていうならぼくの台詞です。お嬢さまこそ、どうしてこんな所へ? しかも従者なんか引き連れて」
「うん、ちょっとな」アルマは言葉を濁す。話せないのと説明が面倒なのが半々だな、とルゥは見当をつけた。「それよりなんだ、あらたまってお嬢さまだなんて。夕食でも奮発して欲しいのか?」
「人の目があるでしょ」

 その出生から家人に遠ざけられたアルマと、妙な経緯で奉公に出されたルゥの付き合いは長い。そのため主従の関係よりは乳兄弟に近いのが、二人の関係だ。アルマもルゥに対してはある程度気安い態度を許していたが、ルゥの方では衆目のある場所で彼女に馴れ馴れしく接することは控えていた。いくら親密だろうと、本来的に彼と彼女を結ぶ線は対等ではないのだ。

「ふうん。まあそれはいい。それよりなんで脱いでる。水浴びはかなり無謀なこころみだと私は思うぞ」
「まったくですね」心からルゥは頷いた。水の冷たさを思い出し、身震いする。
「おまえ、もしかしてもう泳いだのか! 呆れたやつだな。いったいなんでまた……ばかじゃないのか。風邪引いたらどうする。誰がわたしの食事を用意するんだ」

 ルゥと同じ仕立ての防寒着の襟元を締めつつ、愕然としてアルマ。ルゥはそこで無視できない問題を思い出して、なんと説明するべきか迷った。

「いや、その……」
「ん?」

 しかし、目ざといアルマはルゥの説明を待たず、水路の傍に転がる物体を見咎めた。「なんだ。誰だあれは」
 事件の隠蔽をここでようやく諦めて、ルゥはアルマに全てを任せてしまうことを決めた。嘆息と共に、淡々と事実を告げる。

「どざえもんです」
「ドザエモン? 奇天烈な名前だな。知り合いか」
「残念ながら。それにあの人はもう死んでるから、知り合いにはなれそうもありません」
「死んでる?」

 きょとんと目をしばたいたアルマは、剣帯を揺らしてすぐに死体の元まで近づくと、まず頭の天辺からつま先までをじろじろと検分しはじめた。脈をとり、眼球を確認し、血痕に眉をしかめ、鼻を鳴らす。
 それら一通りの手順を終えた挙句に、ルゥが思わず顔を背けるような勢いで蹴りを放った。それでようやく死体が何の反応も示さないことに納得したのか、「本当だ、これは死体だな」と呟く。「十字架の子(ドラクロワ)」の名が恥じ入りそうな無体だった。
 アルマは厳粛な面持ちで、唖然としているルゥに向き直った。

「説明、してもらおうか?」
 

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[ 2006/06/07 05:58 ] 弧人の群 | TB(0) | CM(0)
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