インクナブラ

 主に創作小説を掲載します。

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フライバイナイト・ファブリック 

 色々と段落して束の間のサバトな日々を謳歌しております。
 バレンタインといえばチョコですが、ワールドプラザのリッタースポーツが美味しい。ただ少し重いのでもう少し量が少ないとより好みです。おすすめはラムレーズン。

 そういえば、先日自意識過剰ぶりをいかんなく発揮して「かぶってる」とうそぶいたエロゲーをプレイしてみました。その名もかしこき、月光のカルネヴァーレ。一通りEDも見終えての感想は、まあ……普通? やたら多い割りに戦闘が致命的につまらないことをのぞけば、さしたるボウケンもないよくできたお話でした。
 メインヒロインと主人公のキャラクター造型が肌に合わないことはさて置くとしても、展開のメリハリが希薄なのは惜しい。ロールの配置がかなりテーマと一致してるのに構造の中でほとんど意味を持ってないのはもっと惜しい。(結局人狼である必然ってなに? とか)
 結局どんでん返しもなくだらだらと進んでぽわぽわと軟着陸して終わる印象で、綺麗なCGと上質のBGM、声優の演技にだいぶ助けられているように思いました。とまあ、大絶賛したくなるくらい面白かったわけです。ツンデレってやつよ。

 で、今日は久しぶりにまとまった文章を載せます。コンセプトは高2病(そのまんまだな)だった気がする。といっても去年さわりだけ書いたものなので、今読むと乖離が激しい。うむ……。

フライ・バイ・ナイト・ファブリック


汎神話的スキーマ


 他の多くの物語と同じく、この物語も唐突な訃報から始まる。陳腐だと言わば言え。ともあれセグメントの始点は日ノ出ノキの死がになう。その報せが俺に届いたのは平日の昼間だ。近ごろ体から疲労が抜けにくかった俺は、日本史の荘園制についての説明を完全な入眠装置として利用していた。舟をこぎかけたその瞬間に突然携帯電話のバイヴレーションがメールの着信を告げた。父からだった。文面は『乃希さんが亡くなった』という単純なものだった。内容いかんよりも、その飾り気のなさに俺は微笑を誘われた。ノキというのが姉の名前だと気づくまでには数秒が必要だった。
 十三のころ内戦状態にあった北海道から本土に渡り、別々の家に引き取られて以来六年。顔をあわせることも連絡を取ることもなかったが、養親ともども押し込み強盗に殺されたと聞けばさすがにショックを受ける。しかし真剣に悲しまないほどには思い出も遠のいている。それに驚くべきことだが、俺の中には確かにこの凶報に喜ぶ思いもあったのだ。深刻な顔で葬式の手伝いに向かう由を告げてきた両親に対して、だから俺は戸惑いつつ曖昧に頷いた。
 姉はどんな顔をしていただろう。そんな薄情なことを考えていたのだ。
 もともと両親同士に親交があったという話だったが、それにしても家族総出で葬儀に顔を出すというのは律儀な部類に属すだろう。しかし双子の姉が死んだといえば誰しも過剰に俺の心情をおもんばかり、学校に届出を、アルバイト先に一報を入れて、数日間忌引きする旨を伝えると、大方が気の毒そうな顔で「ご愁傷様」と告げてきた。
 驟雨が街を濡らす五月後半の午後に、我が家の人間は父親の運転する車で東北へ向かうことになった。

「タキくん。ノキさんってどんな人だったの?」

 車中で俺に訊ねてきたのは、単調な高速道路の景色に早くも嫌気がさしてきたらしい、中学三年生になる妹のうつせだった。俺と血が繋がらないだけあって令嬢のように利発な顔立ちをしていて、中身のほうも容姿に相応な優秀さを誇っている。しかしそれだけに自恃の念に篤いところがあって扱いにくく、上級者向けの妹であるといえた。

「どんな人って、どんな質問だよ。アバウトすぎるだろ」
「つまり、タキくんに似てたのかってこと。双子だったんでしょ? 性別が違うからには、当然二卵性だったんだろうけど」

 小柄な体躯に比して長い手足を後部座席でたたみながら、くせのある前髪を指に絡めてうつせはそう問う。髪型がうまくまとまらないという雨の日に良く見られる癖だった。

「そりゃまあ、二卵性以外にはないだろ。聞いて確かめたわけじゃないからなんともいえないけど」
 そもそも、物心ついた時点で俺とノキに親はいなかった。生後三ヶ月かそのあたりの頃に、産婦人科の前に捨てられたからだ。当時の北海道の情勢では良くあること、というほど簡単な話でもないけれど、仕方ない部分はあると理解している。それにおそらく、その時点でもう親は生きてはいなかった。
 と、知りようもないことを確信的にいったのは、そういえばノキだった。ここ数年不自然なほどに思い返すことのなかった姉についてのエピソードが、うつせのやや無神経な質問を切欠に芋づる式に掘り出され始める。俺の姉はどんな人間で、どんな顔かたちをしていてどんな声でどんな言葉を吐いたのか。この調子なら一度眠って記憶の再整理が行われれば案外すぐに何もかもを思い出せるかもしれない。

「あれ」とうつせが思案顔をつくった。「それじゃあ、どうしてタキくんが弟だってわかったわけ。なんとなく?」
「いや、なんか知らんが周りに初めからそう扱われてた。俺も抵抗なく受け入れてた。……たぶん、どっちが姉でどっちが弟かっていう添え書きぐらいあったんじゃないかと思ってる」もちろん、適当に決められたという可能性もある。どちらにしても些細なことだ。
「おねえちゃん、って呼んでたの?」
「本当に小さい頃はそうだった。でもだいたいは名前だな。呼び捨てにしてた」
「うちとおんなじだ」自分で聞いておいて特に関心もないようで、なかば義務的なうつせの呟きだった。
「そうなるな」

 うつせが俺を兄と呼ばないことに、大した意味はない。別に家族として認められていないためではなく、うつせ自身が適正と判断した距離によるものだ。俺が家に引き取られた当時、うつせは若干九歳ではあったものの、突然放り込まれた異分子を兄とすんなり認めるほど単純な子供ではなかった。『家族』という意識の形成において、まだ精神が未分化である幼年期の共有が果たす役割は思いのほか大きい。明らかな部外者である俺に対して、聡い少女であるうつせがした最大限の譲歩が、つまりは現在のかたちに違いなかった。
 その結果として、邪険にはされないが特に懐かれもしない、いまの兄妹関係が出来上がったというわけだ。

「とりあえず、二卵性だからかどうかは知らないけど、あんまり似てない双子だったと思う。性格も顔も」記憶を探るように、視線をさまよわせた。「ノキは美人だったし、なにやらせても凄いやつだったから。頭も良かったと思う」
「じゃあ、タキくんみたいに足も速かったんだ」
「いや、それは俺のほうが速かった」だから、それをアイデンティティにしていた節が、俺にはある。子供なりの矜持だったのだろう。「なまじ何でもできたから、あいつはそれが悔しかったみたいだった。何度も勝負を挑まれたな。一度も負けなかったけど」
「仲、良かったんだ?」
「いや、喧嘩もした。だけどまあ、兄弟仲がどうかなんて、自分じゃ考えないだろ?」

 それにきっと仲は良くなかった、と内心で付け足した。ふたたびの唐突な回顧。むしろ俺はノキを恐れていた。当時内戦の真っ只中だった北海道でともに育った双子の姉を、俺は異質なものとして見ていたのだ。なぜかはまだ思い出せない。忘却の領野で迷ったままだ。とにかくだから俺は姉と別れてから一切連絡を取ろうとしなかったし、むしろ積極的に忘れようとしたのだろう。ノキそのものをか、あるいは姉を恐れたという事実を消したかったのだ。
 忘却し回想することのなかった姉との関わり。それが長い時間をかけて海底から浮かび上がり顔を出す。水面で弾ける泡沫のように脳裏を過ぎる。うたかたなのだから無論意識の表層にそれは留まらない。陳腐な懐古に感情を仮託することもない。
 姉は俗人の手の届かないところに立ついわば超人だった。あの頃、彼女に不可能なことなど何もないようにも思えた。いや事実、俺は「できない」という言葉を姉の口から聞いたことがなかった。すべては置き去りにした思い出に過ぎず、日ノ出ノキの声も顔も今では覚束ない事項でしかないが、往時その誂えられたような万能性に、俺は屈託したのだ。
 その姉が殺された。つまり強盗に殺されるくらいには、姉も凡人だった。当然のことだ。

「そうかもね。じゃあさ」

 なおも言い募ろうとした気配を俺は目を閉じることで遮断した。俺に似ていないだけあって、それを推察できないほどこの義妹は魯鈍ではない。ただ、締めくくりはある種無神経な言葉によってなされた。

「……気乗りしない? まあ、死んじゃった人のことだもんね、どうせ。どうでもいっか」

 うつせ。そう嗜める母の声は人道的に正しかろうが、この場合だけは不当に思えた。俺の理性も感情も、まったく妹の言葉を支持していたからだ。降ってわいたこの事態を歓迎するほど、存念というのはしぶとくない。だが悲しみがないことは確かだ。もしかすれば、俺はずいぶん冷たい人間なのかもしれない。
 積極的に考えて愉快なことではもちろんない。が、あっさりと思考の矛先を変えられるほど器用にもできていない。目蓋を閉じておいたのは、だから稚拙なようでいて案外妙手であった。瞑目の効能は睡魔を呼ぶことにある。ほどなくして俺は期待通り眠りに落ちた。


 惨劇。その使い古された言葉が、日ノ出家を襲った事件にはぴたりと当てはまる。世人が寝静まった深夜に犯行は起きた。事件があった地域でも比較的裕福だった日ノ出家が襲われた理由は、誰に求められなくとも自動的な世間が外付けした。ひとつに前述したとおり富裕であったこと。そしてもうひとつには、その屋敷の周囲に民家がほとんどなかったこと。いわゆる旧家だった日ノ出家は先代まで広大な土地を所有しており、当代に相続する際の課税でその大部分を手放すはめになったものの、空いた土地はいまだ手付かずのままにされていたのである。
 計画的な犯行だったのだろうといわれてはいる。またマスコミはストーカー的犯行とも突発的かつ無作為な快楽殺人の可能性があるとも当て推量を乱発した。しかし結局真相は現段階では何一つ明示されていない。なぜならば犯人は、あるいは犯人たちは、まだ逮捕されていないからだ。
 被害者は家長である日ノ出大和と絹恵夫妻、そして二人いる娘の内の一人である日ノ出乃希の三人ということだった。夫妻は刃物で殺害され、娘は絞殺されたと記事には書かれている。家の内部は荒らされており、通帳やキャッシュカード、現金に貴金属が持ち去られた形跡があった。
 残る一人の娘は事件当時運良く外出しており、危ういところで難を逃れた。日ノ出家には親戚が少ないらしく、親しく付き合っている人間も今ではほんのわずかしかいない。先代までに貯えた遺産を食い潰す典型的な資産家崩れである。もし彼女までもが凶刃に倒れていたら、父や俺に事件を報せるのは朝刊の役目になったに違いない。
 田舎の屋敷を襲ったこの事件には、特筆すべき目新しい要素がなかった。北海道からの凶状持ちの流入に悩まされている東北地方では、今どき押し込み強盗など珍しくもない。旧家にふさわしい因業な過去も妄執の粋を尽くした怨念も、この事件には存在しなかった。妥当な人間が適当な理由で順当な犯行に走ったに決まっている。そして被害者は不穏当にも殺された。それだけだった。悲劇性を駆り立てるには個々の素材が使い古されていて、報道が下火になるのは早かった。一週間もすれば埋没し、このまま犯人が捕まらなければ水面下に潜ってしまう出来事に違いない。それはときおり泡を浮かばせるだけで、二度と浮かび上がってはこない。世界に無限に沈む零砕な澱のひとつとして処理されるのだ。俺にとっての姉の記憶と同じように。
 これらの死はだから、少なくとも事件という枠の外に立つ人間にとっては安直な悲劇としての個性しか持たない。消費としての死でしかない。そして六年前にノキとの関係性を断っていた俺もまた、この出来事の内側に入り込む文脈をうまく飲み込めないでいる。よって不意の弔問という再会は、まだ悲しみをそなえていない。なのにひたすらに陰鬱で、俺の気は滅入るばかりだ。原因はわかっている。俺は思い込みが強い。悲しまない自分を疎んだから今頃になって感情が哀惜を表明しているのだ。心理的合理化が機能しているのである。ますます救いがたい。
 この悟性を不愉快に感じた俺は、今が夢中であることをほんの少し感謝した。情動のバッファは覚醒と同時に消えるだろうから。酔生夢死。気づかなくてもよいことに気づく俺はここでついえる。これもまたありふれた風景のひとつである。
 おやすみなさい、さようなら。

遺族


「多喜。起きろ。着いたぞ」
 父の声に面食らって目を開けると、薄暗い車内に呆れたうつせの顔がみえた。「寝すぎ」といわれた。「よっぽど疲れてるんじゃない?」と助手席の母にもいわれた。途中で立ち寄ったパーキングエリアでも目覚めず、都合四時間半の道のりを俺はほとんど全て寝とおしたというのだ。そしてそれだけの時間を睡眠に費やしたにもかかわらず、いまだ眠気は俺の中に居座っていた。
「すんごいぐっすり寝てたよ」うつせが伝染したあくびを噛み殺しながら車から降りて言う。こちらは雨が降っていないようだった。「触っても全然反応しなかったし。死んだのかと思った」
「鼾はかいてたか」
「ううん、静かなもんだったよ。彫像のようだったよ。夢も見ずに眠っていたんだねきっと。ね」
「おぼえてないな」
 答えて俺は、眠い眠いと繰り返す。本当に五時間近くも寝たのだろうか。そう首を捻りながら天体の運行に疑惑の眼差しさえ向ける自分に呆れてしまう。
 しかし目的地に到着した以上いつまでもシートにしがみついているわけにもいかない。無理な姿勢で長時間いたためにこわばった全身の筋をほぐしながら降車する。
 見慣れぬ風景を前にした俺は、まずはじめに空気が違うことに気づいた。においが、味があるような風を呼吸することができる。この清浄さは、緑の多さゆえにかあるいは夢のない偽薬効果ゆえにか。理由はいまさしたる意味を持たない。空気がうまい。大事なのはそれだけだ。
 日はもう暮れかけていた。太陽はどうも最近俺につれない。街中ではついぞお目にかかれない背の高い林の陰に隠れて、さっさと夜を招こうとしている。やはり馴染みの薄い、しかし懐かしい土肌をつま先で蹴りつけると、あわい感慨が胸にこみ上げた。遠くまで来たのだという、それは当たり前の情緒である。
 駐車場として利用されているらしい空き地には我が家のほかにも何台かの自動車が停められていた。縁遠いという親戚か近隣の住民のものだろう。都市部から離れれば、寄り合いの意識は地方自治体には未だ深く根付いていることが多い。とりわけ葬儀に隣人が動員されるのは暗黙の了解だ。相互扶助の精神である。同時にそれはやや重たい因習にも感じられ、だから現代的な感覚においては否定の目で見られることも多い。
 ここではどうだろうか。そして俺にとっては?
 予想されうるいくつかの反応を、経験してもいないのに煩わしいと感じていることは事実だ。けれどそれは、地縁的結びつきを否定するものではなかった。そも俺はそういった集団の中で育った。むしろ血縁関係に対する意識こそ、希薄だ。それはもう、今の俺にはないものなのだ。六年の内に希釈され、つい先日永遠に失った。
「多喜?」さすがというべきか、真っ先に感傷をかぎつけたのは母だった。「落ち着かないの?」
 声には職業病の色濃い気遣いが込められている。母は心理療法士、いわゆるカウンセラーの資格を持っており、同時に俺の主治医でもある。こういうのも業が深いというのだろうか。苦笑して俺は「なんでもないよ」と首を振る。
「それならいいのだけど。調子が悪くなったのならすぐに言いなさい、あなた疲れているみたいだし」
「そうする」
 俺はただ頷く。逐一、思いやりに礼を言わないことは親密さの一形態である。享受は怠惰ではなく、処理の簡素化だとも学んだ。
 スペースを囲う空き地は雑木林に囲まれており、それらは外界と日ノ出家とを仕切る役割を果たしている。身なりを確認しあう父母と妹を尻目して、俺は早々に仄見える門へと歩き出した。僭越かもしれないが、筋からすればまず俺が出向くべきだろうと思ったのだ。
 古風な木作りの門と、電球が黄色い光を放つ門灯がややミスマッチに思える。『日ノ出大和』『絹恵』『塔子』そして『乃希』の名前が書かれた表札の横にあるインターホンを押しながら緊張をここで初めて意識する。すぐに『はい。どちらさまでしょうか』と若い女の声が受け答えた。居心地の悪さを感じて視線を上向けると小型の監視カメラと目が合った。俺は戸惑いつつも会釈する。
「先日連絡をいただいて伺いました。高浜の家のものです」
『高浜さんですか。高浜さんというと、はい、あの高浜さんですね。ああ、ええ、はい。お待ちしておりました。すぐにお迎えに上がりますので少々そのままで』
 スピーカーが沈黙する。普通の一軒家ならば数秒で門が開くところだが、屋敷と呼ぶにふさわしいこの佇まいではどの程度待たされるのものかちょっと想像がつかない。わくわくしながら待っていると、ぎいぎいぎいと軋みながら門が勝手に動き始めた。しかしここで拍子抜けするのは、少し早計だ。なにしろ開いた門の向こうには誰もいなかったのである。
「自動ドアだ……。なんで和風な門構えなのに自動ドアなんだろう」
 氏より育ちということか、いつの間にかやってきて俺と同じ期待をしていたらしいうつせが感嘆した。
 開門されればすぐ向こうに勝手口が見える、などといったことはもちろんなかった。玉砂利が敷き詰められた地面の上に石畳が連なって、両サイドを松がにぎやかしているだけだ。奥行きもそうだが、面積自体相当なものがありそうである。目に見える庭だけでも百平米は余裕で越えている。これは庭師でもいなければ絶対に維持できない種類の庭だ。まごうことなき造園業者の領分である。
 やや気圧されながら、思わず本音がまろびでた。
「没落したんじゃなかったのか」
「それでも名家は名家ってことなんだろうなあ」
 もっともらしく父が言う。どうしても首周りが気になるらしく、何度もネクタイに触れながらぴんとこない様子で門をじろじろと眺めていた。そんな仕草も含めて思う。改めてみて、喪服が似合わない男である。細身で背が高く、足が長く彫りの深い顔立ちの父が黒いスーツを着ると喪服というよりはタキシードか洒落着のように見えてしまうのだ。飄々とした身ごなしで門をくぐるや庭を見て、父はほうと吐息した。
「おお。おう。久しぶりに来たけど凄いなやっぱりこの屋敷は。でも気の毒になあ。こんな広いところで塔子ちゃん一人か。かえって寂しいだろうに」
「塔子ちゃん」
 報道された被害者の中になかった名前だ。そして表札に残った最後の一人の名前でもある。おそらく、父にノキの死を報せたのもその『塔子ちゃん』なのだろう。
「塔子ちゃんね。パパとママはこの、日ノ出さんちと知り合いだったんだよね。あたしは会ったことあったっけ」
 気のないうつせに、呆れた様子で母がいった。
「なにいってるの。あなた小さい頃には塔子ちゃんにも遊んでもらったこともあるのよ」
「え。そうなの」
「そうよ。薄情な子ね」
「記憶にないんだけどなあ。おかしいなあ」
「まあずいぶん子供の頃だったから、しょうがないだろう。うつせももう十四だし」
「十五だよ。でも、ううむ」
 しきりに首を傾げるうつせは腑に落ちないという表情だ。俺にも似たような経験はある。幼児期の記憶は濃淡の差が激しい。ときになぜと不思議になるような思い出を記憶している一方で、普通なら絶対に覚えておきそうなことも忘却しているものだ。
「ところで、いまインターフォンに出たのがその塔子さんって人なのか」
「若い女の人だったよね」と妹。
「家政婦さんかも知れないな」
「なにっ」
 馬鹿な。家政婦だなんてそんなものまでいるのか。俺は父の何気ないせりふに人知れず驚倒する。それでこんな立派な庭を持っておきながら『没落した』とはどういうことだろう。せめて『落ち目』という優しい表現に差し替えてはもらえないのだろうか。これでは一般庶民の家など最初から凹んでるとか抉れてるとか陥没しているということになってしまうではないか。
「まるでうつせの胸じゃないか」
「その比喩はどんな文脈で出てきたのかな。なんとなく想像はつくんだけど」
 聞きとがめるうつせのセーラー服に包まれた胸部は、二次性徴を迎えて久しいにもかかわらず起伏という表現から縁遠い。大化の改新とローレンツ力くらいに縁がない。しかしうつせ自身は胸囲の貧弱なことを別段コンプレックスにはしておらず堂々としたものだ。世の巨乳志向を嘲笑しているふしさえある。それだけならばまだしも、あまつさえ「おっぱいでかくても馬鹿そうなだけじゃない。肩こるっていうしいいことなんてひとつもないじゃない。揉まれたり吸われたりするなら必要以上に大きい必要なんてどこにもないじゃない」などと言ってのける。そこで「しかしそれでは挟めないんだ」と本音を吐露した場合、家庭内における俺の立場が加速度的に失地するため無言を守るほか手立てはない。二重の意味を込めた嘆息が口からこぼれた。
「俺は資本主義の歪みを一心に案じていただけだよ」
「その裏で男根主義に毒された腐敗的な思想にハァハァしていたくせに」
「うるせえ。男根主義の何が悪い。フロイト先生によれば夢に立ち現れる世の中の黒光りして攻撃的だったり尖ってたり立ってたりするものはすべて男根のメタファーなんだぞ。いうなれば世界は男根に満ちているし支えられているようなものなんだ。東京タワーも男根だ。京都タワーも男根だ。ピサの斜塔もサグラダファミリアもピラミッドもだ。この解釈を適用すれば人類無意識の根底にいるというアヤシゲな存在も両性具有的なアレで男根といえる。おまえだってあそこにいる父の男根から生まれたんだ。いいか、お祈りにだってこんな文句があるだろう。『乳と子と精霊の御名において』。つまり三位一体の神を構成する一面にすら乳房の母性が含まれているということだ」
「嘘を最後に持ってくるのは詐術としてはだめだめね。それに同じパラグラフでフロイトとユングを併用するのはどうなのかしら」母はひょうひょうととぼける。
「あのう」控え目な声が響くが誰も取り合わない。
「俺を引き合いに出すなよ」まさか誰かに聞かれてはいまいなと恐々としつつ、情けない声で父が言う。
「さいてえ」
 うつせは唾でも吐きかねない顔である。俺は暴走を自覚しつつ舌を回す。
「何がさいてえなものか。だいたいだな、男は狼生まれたときから狼とかいうがそんなわきゃねえだろってんだ。人間は生まれながらに人間なのではなくしかるべき教育を受けられる環境のもとはじめてヒトは人間足りうるのだって文化人類学的な見地ではそうなってんだ。憲法だと。そんなもん知るか。くそっ。あのな、美的なものを愛でる気持ちと性的な興奮に惹起される衝動はしばしば混同されるがおおよそ別なものなんだ。それに女は子宮で考えるとかいう寝言も批難の対象になぜならない。差別主義者め。そもそも人の趣味嗜好を腐敗的と断じる傲慢こそが危険だとなぜ気づかない。貧すれば鈍すとはよくいったものだ。退廃主義者め」
「馬鹿じゃないの。体の一部分の大きい小さいでそんなに熱くなっちゃって、大人げないと思わないの。タキくん来年成人でしょ。高校生だけど」
「ええいっ、年齢は関係無いだろう年齢は」
 基本的な教育すら受けていなかったために、高浜家に来てからの俺の四年間は通信教育と家庭教師の両刀による教育カリキュラムの消化に費やされた。よって来年成人式を控えた今も、アルバイトのかたわらブレザーを着込んで高校二年生をやっている。同級生どころか上級生さえ一部の例外をのぞきみな俺に敬称をつけるのでやりにくくてしょうがない。そんなナイーヴな部分を遠慮無く責められて、俺はさらに取り乱した。手近に見えた立派なふくらみを指してみっともなく喚く。
「どうだ。見ろこの豊かな丘を。ピクニックにも最適だろう。パパと愛について語り合うにはこのくらいの高さがなくては話にならない。古来戦場では高地を確保すべくどれだけの血がながれたことか。ああ、くやしかったらこれくらいのものを身に付けてみろっ」
 どさくさに紛れてその胸に触ろうとしてはたと気づく。今「わっ」と言ったのは誰だ。見ればなんと、胸には首筋から肩のラインがやや露出した喪服に身を包んだ女性が付属していた。当然、見知らぬ女である。
「え、どちらさまで」
「だれ」妹も喫驚している。父と母だけがのんびりと厳かに一礼した。
「どうもこのたびは……」
「日ノ出塔子さんよ」
 母の呟きを聞いて俺は即座に身を正す。深々と一礼すると面立ちに疲労が濃い女性を見据えた。
「はじめまして。軒先でお騒がせしてもうしわけない。私はノキの弟の多喜です。謹んでお悔やみ申し上げます。この度はご愁傷様でした」
 返礼して、日ノ出塔子は微笑した。
「いえ、こちらこそはじめまして。乃希の姉の塔子です。小父様も小母様もお久しぶりです。お元気そうで何より。遠い所をよくおいでくださいました。ご案内いたしますので、どうぞ私のあとに」
 きびすを返した背中は小さい。あの肩に家族三人を亡くした労苦が乗っているのだ。
 歩き出しながら自己嫌悪に首を振る。
「やってしまった」
 うつせも肩を落とした。
「ティーケーオーを考えるべきだったね」
「テクニカルノックアウトしてどうする」
「はぅ」
 赤面するうつせ。
「元気なのはいいけど、もうちょっと自粛なさい、あなたたち。明日には葬礼なのだから」
 母の声が耳に痛い。抹香と静寂と夜のにおいが鼻をつく。嗅覚は脳に直結するレセプタである。それらはだから今このとき、たやすく死のイメジに連結された。広大だからこそうら寂しい庭園を歩きながら沈思する。煤けた和風家屋が姿を現し始めてなお確信を深める。ここで人が死んだのだ。殺されたのだ。六年前に別れた俺のはらからはここで生き、そして死んだ。「お嫁さんにするなら、胸の大きな人にしなさい」。恣意的に俺は姉の声を幻聴する。では葬送は。葬式は静かに慎ましく粛々としたほうがいいのだろうか。ノキが死ぬなどと考えたことのない俺は幻の中にさえ答案を見出せない。
 日ノ出塔子が足を止める。飛び石につま先を引っ掛けて俺は転びかける。日ノ出塔子が振り返ってなにか言っている。ところが俺は空想するのに忙しくやがて彼女は認識の埒外に追いやられる。うつせも父も母も取るに足らない存在へと堕していく。


「こちらです」
 俺たち家族四人は日ノ出塔子の案内に従ってみっつの死体が寝転ぶ十二畳の座敷にやってきている。身じろぎが立てる衣擦れの音すら犯罪的な騒音になりかねないほど恐ろしいしじまにその場は支配されていた。いちにいさん。瞭然の事実を改めて数え上げてこれが日ノ出大和と絹恵とノキの死体なのだと納得した。こみ上げる欠伸をこらえて顎を上げる。すると線香がゆっくりとたなびかせる煙が天井でよどんでいるのが見えた。
「多喜、大丈夫なの?」先ほどから母は頻繁に俺の容態を気遣っている。
「大丈夫って、何が」
「様子がおかしいわ。あなた」
「そんなことはない。いたって平気だよ、俺は。その証拠にほら、そこの死体を見たってちっとも気分なんか悪くならないだろう?」
 冗談のつもりだったが、誰にも受けなかった。その場にいた全員が黙り込む。もちろん既に死んでいる連中はとうからだんまりだ。唖のように貝のように彼らは口を閉じている。だからたぶん火葬される段になれば慌ててパッカリと開口するに違いない。
 そんな妄想をするが、死体はいずれもねずみの皮膚と同じ顔色のまま身じろぎしない。年配の男性と女性の鼻の穴には脱脂綿が詰め込まれている。ただでさえ失語症じみた無口ぶりなのに、あれでは呼吸が苦しかろう。でも死んでいるので問題はないわけだ。
 残るひとつの死体には顔がなかった。正確には顔に白い布が被せられていた。消去法で考えれば布の下には間違いないくノキの顔が隠れているはずである。なぜ蔽われているのだろう。俺の記憶によればあれはそれほど見苦しい顔はしていなかったはずなのだ。それとも会わずにいた数年の間に手ひどく劣化したのだろうか。あるいは彼女の死に顔は正視に耐えないほど醜いものなのだろうか。何秒か前に日ノ出塔子にそのあたりの理由を説明されたようなおぼえもあるが、ずいぶん昔のことなのでもう忘れてしまった。ノキ、なにやってんのおまえ。顔なんか隠して。久しぶりに会いに来たんだけど。
 立ち上がる。父と母が何事かと俺を振り返る。うつせが隣で俺を見上げていた。
「タキくん?」
「顔が見たい。そいつの顔が。どうして隠してるんだ?」
「それはさっきも言ったとおり、妹の顔にはひどい疵がつけられていたからです。いまは検死も済んで大きな絆創膏で塞がれてこそいますが、父や母のからだの疵もそれは惨いものでした。もちろんノキのからだも少しでも元通りになるよう頼んだのですけれど、それにも限界はあるということで」
 説明する日ノ出塔子の顔は悲痛に染められている。そこに俺の直感は欺瞞を見つけたが、恐らく妄想だろう。家族を全て失った女の顔に悲しみの翳り以外のものが浮かぶはずはないのだ。それよりも、彼女がノキの『姉』であることを俺は意外に思う。あの女の上に立てる女がいるなんて正直想像力の範疇を超えている。
「エンバーミングか。医師に頼んだのか? それとも専門業者に?」
「いえ。葬儀会社の方にお願いしました」
 日本における死体修復が認識技術ともに後進的なのは仕方がないことだ。必要性がないから育たなかった技術なのだ。つまり防腐液を体内に注入もしていないしずたずたになった顔を粘土やら何やらで戻してもいないのだな、と確認すると、日ノ出塔子はやや素面めいた口調で驚きを表した。
「そんなことをする会社もあるの?」
「ある。あるが、なくても問題はないはずだ。少なくとも俺は気にしない。ノキも気にしないだろう。そんなやつじゃなかった。だから見せてほしい」
「……あなた多喜くんていうんだったね。さっきから行状が目に余るんじゃなくて。亡くなったのはあなたのお姉さんでもあるのよ」
「ならなおさら、死に顔の一つ見たっていいだろうに」
「場とやりかたを考えろって言っているの!」
 日ノ出塔子は険しい顔をつくる。喪服と蒼褪めた表情があいまって、なるほど肌質からすれば年長なのは間違いなかろうが、とても美しく見えた。怒っているのだ。純粋な感情の発露に俺は場違いにも感動した。家族をことごとく病み犬みたいに鏖殺された遺族の姿とはこうあるべきだ。
 これは逆らうべきではないな。そう思った俺は手をついて土下座した。
「仰るとおりだ。分際をわきまえず空気を読まない屑とは俺のことです。マジですいませんでした」
「えっ」
 よほど虚をつかれたのか、日ノ出塔子は声を裏返らせる。
「平に平にご容赦を。へへえ」
「あなた……、もしかして巫戯けてるの」
「とんでもない。心から謝意を表明している」
 再び険悪になりかけたその視線を制したのは、うつせの投げやりかつ的確な一言だった。
「許してあげてください。タキくん、ぶっちゃけ頭がおかしいんです」
「頭……おかしいって……」
「ほんとうなんです。病的です。忌憚のない意見を述べさせてもらうと、天候や状況によってはまんまきちがいになったりもしちゃうのです」
 ひどい言われようだ。だが俺も俺が分裂的であったり演技性の人格障害を頻繁に引き起こすことについては病感がある。心の病とは要するにインタフェイスの故障である。社会性に支障をきたす状態を異常と指す以上、俺が精神病理学的にやや黒めいていることに筋立てた反証はできない。
 これまでと質の違う、痛々しい沈黙が降りてくる。出鼻をくじかれた日ノ出塔子はまずうつせを見、次に俺を見、そして母を見て微妙な角度の頷きを返されるや思案顔になって、また俺に目を戻した。
「それは、その」
「ええと、病識はあるから一概に息子が完全にそのう、精神病のたぐいに罹患していると言い切れないのが微妙なところなのだけどね」いわく言いがたい顔で言葉に困る日ノ出塔子の意を酌んで、母がすらすらと語る。「今でこそ日常生活を営める程度に恢復しているものの、塔子さんも知っての通り多喜はノキさんと同じく戦災孤児なの。詳しいことは語る必要を認めないので触れないけれど、その頃の経験が元で彼は重篤な心的外傷を負っていてね。まあ、それでも普段はけっこう安定しているし突拍子もないことも間々するのだけど面白いから放っておいているのね。でも、昔のことを思い出したりすると不安定になったりするの。今回お姉さんのことについてもそう。気を悪くしないでくださる?」
「はあ」
 言われている内容の半分も理解しているか危うげな反応で、日ノ出塔子が生返事する。襟ぐりからのぞく白い肌はなまめかしいが、どうも頭はあまり良くない。もっとも、状況と心情を斟酌すれば本調子ではないのも無理はない。俺は彼女に同情的な視線を送ると、「とんだ茶番だ。付き合ってられないな」と首を振ってその場を辞去した。
 うつせの呆れ声が背を追いかけてくる。
「どこ行くの、タキくん」
「この中に犯人がいるかもしれないんだろう!? 一緒にいられるか! 私は自分の部屋に帰らせてもらう!」
 死亡フラグを立ててみた。
「えええ?」
 混乱する日ノ出塔子をなだめる役は家族に押し付け、俺は気鬱を払って探検に出かけることにする。結局、ノキの顔は見られずじまいだ。未練はない。脳裏に浮かんだ姉の遺影を昨日読んだ週刊誌のグラビアにコラージュしつつ、その写真に灯油をかけて燃やす妄想にふけった。
 反応が鈍い右足が、すこし疼いた。
 
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[ 2007/02/15 19:28 ] 小説 | TB(0) | CM(0)
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