インクナブラ

 主に創作小説を掲載します。

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その2 

おじちゃん今度引越しするねん。
まあそう間は空かないと思いますが一応報告までに。

というわけで、キョコウその2ございます。
次で終わりです。



 翌朝、起きていちばんにしたのはルールーンの様子を確認することだった。かれの様子にはかわりない。相変わらず停止しており、ただならぬ経年の劣化を総身にまとっている。この世ならぬ魁偉な相貌も不変だった。かれは眠り続けている。
 朝食は手早く取った。パンを微量焼き、らくだの乳を発酵させたラバナを啖べ、オアシスで収穫した豆を煎って珈琲を飲む。その後気分が乗れば散歩に出ることもあったが、たいていは読書へ耽溺して日暮れまでを過ごした。その日も同じだった。ただし、ルールーンと同室して本を読んだ。すぐに日暮れはやってきた。ルールーンに動きはない。おれは家畜たちに餌を与えると、夕食の準備をした。ほどほどに腹をくちくすると、最後にまた客人の様子を確認し、就寝した。
 その調子で三日が経った。ルールーンに変化はない。
 ある朝に、オアシスの中核をなす清泉へと出向いた。体を洗うためである。水は今のところ枯れる様子を見せないので、べつに毎日その恩恵に浴してもいいわけだが――なんという贅沢だろう!――、あいにくと澄んだ水はおれの姿を映してしまう。自身の姿を見ることを禁じられているおれは、不用意に水辺へ近づくわけにはいかなかった。今ではもう面倒ですらないが、こうした場合には手ぬぐいで視界を覆い隠すのが常だ。このオアシスの中ならそうしていても歩くのにはまったく不自由しなかった。
 目隠して歩き続け、草地を抜けて、水場に近づいたことを匂いで知る。と同時に水を弾く音を耳が捉えた。誰かいるのだ。「だれだ」と誰何しつつ、おれは目の上にかかる布地に手をかける。答えはすぐに返ってきた。
「ボクですよ」
 あの死人奴隷の声だった。
「おまえか。何をしてるんだ」
「見てのとおりですよ、ぼっちゃん。なんで見ないんですか?」
 おれは水面をのぞかないよう慎重に後退すると、目隠しを取り払う。
 予想に違わぬ光景がそこにあった。あらわな肌を惜しげもなく晒す娘が、盛大に泉へと身を沈めている。目を引くのはやはり、張り出した乳房や、引き締まった腹から腰、下腹への曲線である。それらは水に濡れて陽射しを享けて、てらてらとかがやいていた。そして注視を悟ってなお、少女は裸身を隠さない。
 おれは驚きや羞恥というよりは呆れに呆れて眉をひそめた。
「以前、信仰がどうのと言っていたな。おまえの神は異性に肌を晒すことを認めていたのか」
「自分でそれをいいますか。舌の根は乾いてしまったようだ」
 少女はさすがに不快そうに頬をゆがめた。たしかに失言だとおれは認めた。ミルアトゥンに見初められ、仮死の毒を盛られる以前の彼女にとって命より価値あることが、まさにそれだったのだろう。あの夜からさらに日をまたいだ今、その実感は刻々と薄れているに違いない。ほかの多数の死人がそうであるように彼女もその空虚を持て余しているだろう。もっとも、不快さならばおれも負けてはいない。
「そうか、そうだった。それについては謝ろう。だけど、そのざまについてはどういうことだ」
「というと?」
「空とぼけるな。それでも沙漠の民か? 水場を――そんな、我が物顔で使いやがって! 小汚い体を浸すな!」
「吝嗇はいけませんよ、ぼっちゃん。これだけの水、あなたひとりで遣い切るつもりですか?――あぁ、すごい! こんなきれいな水が、こんなにたくさん! と――感動したのは二晩も前ですけどね。気づくのが遅いんじゃないですか。ボクがどこにいるのか、確認しなかったのですか?」
「気にもならなかった。てっきり」
「てっきり?」
「死んだのかと」
 水が飛んできた。まともに多量を正面から浴びた。おれは舌打ちしてさらに距離を取った。怒るべきなのだろうが――こんな態度をミルアトゥン以外に取られるのは初めてで、つい同じように忍従の対応を選んでしまう。
「なんて失礼なひと! ひと? ねえぼっちゃん、ところであなたはどうやら人ですね。あの魔女(ジンニーヤ)のような存在ではなく」
「何をいまさら」
「いまさらっていうか、すごく不思議だなと。いつから一緒にいるんです」
「産まれたときからだ。あれがおれを取り上げたからだ。以来、拾われて育てられ、今に至っている。それだけだ。なぜ、と思うか? それはおれにもわからない。理由があるのかどうか、さて、ただの気まぐれと言われても納得できてしまうから」
 それを聞いて、少女は露骨に胡乱な眼でおれを見た。そんなことがあるものかとでも言いたげだった。
「変わっているんですね。あんなものが傍にずっと人を置いておくなんて、ボクは聞いたことがありませんよ」
「そうでもない。名を失った者はみな孤独だそうだから。無聊の慰めに人を育てることくらいはあってもいいんだろう」
「それじゃ暇潰しじゃないですか?」
「そういうふうにいったつもりだよ」
「なるほど」
 と頷くと、不意に白目を剥き、少女は前のめりに水面へ倒れこんだ。水しぶきがあがっておれの足もとを濡らした。おれは慮外の脱力に混乱する少女を遠目にしたまま、水を溜める甕を地面に置いた。それから再び布で視界を遮り、見当をつけた場所まで歩いていく。
 生まれて初めて担ぐ他人の体は重かった。


「どうして!」
 失神から快復し、床に転がされた状態で瞠目するや、開口一番少女は叫んだ。不明瞭な疑問だが、訊きたいことはわかっている。おれはルールーンの体を拭浄しながら、おざなりに答えてやった。
「おまえこの二日、ろくにものを食べなかっただろう。睡眠も取らなかったはずだ」
「えっ」
 指摘されて初めて気づいたとすれば莫迦だと認識するしかないし、少女はどうやら莫迦で間違いなかった。非常に真剣な面持ちで、あらわなままの己の腰に手を触れる。
「痩せてる! やった!」
 ホント死ねおまえ。
 と喉元まで出かけた罵倒を飲み込んだ。かわりに苦々しく、聞こえよがしに呟いた。
「ミルアトゥンの術で見境が飛んでいるにせよ、おまえのような太平楽な死人は見たことがない。おまえはなんなんだ? 思えば、ルールーンを招いたこのときに置いて行かれたのがおまえなんだ。何かの思惑が働いているはずだな。たしか最初にも聞いた覚えがあるぞ。おまえはいったいなんのためにここにいる?」
「世話をするためと答えたと思うんですけどね、ぼっちゃん」
「自分の面倒も見られないくせに、おれの世話をするって?」
「それをいってはおしまいだ」娘が天を仰いだ。「しかし、参りました。この体、ボクはいったいどうなっているんですか。空腹を感じないんですか? 恐らくは睡魔とも無縁だ。それも食べずともよいわけじゃない。眠らずにやっていけるものでもない。ただ鈍感になっただけ? なんとまあ。まさしく悪魔の業ですよこれは! あぁ――」
 神の名を唱えようとして、できなかったのだろう。苦々しく娘は舌打ちした。「呪いあれ」と小声でささやく。おれは重くなる心を感じながら、そんな娘から目を逸らした。
 会話を重ねすぎていた。望むと望まざると、おれは人恋しい。多弁なこの存在とのやり取りは、久しく文字ばかりを追っていたおれの心を多分に慰めていた。認めたくないが、認めるほかあるまい。関心が生まれつつある。だいたい――ミルアトゥンが言っていたことはどうなっているのだ? この娘は、醜いおれのことを、まったく恐れないではないか。思えば過去にいた、他の死人たちもそうだった。かれらは一様におれの容姿に対して無反応だった。おれはそれを、かれら一流の鈍感さによるものだとかってに解釈していたが、違うのかもしれない。姿見を禁じられ、他者を知らないおれはミルアトゥンがいうおれの「醜さ」についてなんとも言いようがない。
 ああ、気になるならばひとこと訊ねてみればよい。「おれは醜いのか?」と。しかし、できるはずがない。もし肯定されでもしたらおれはほんとに絶望に暮れてしまうだろう。いずれはこの庵、引いてはミルアトゥンの庇護から抜け出すという願いも、露と消えてしまうだろう。だから決して、おれはこの娘に問うまい。
 咳払いをすると、おれは口をあけてこちらをじっと見つめる娘に、改めて向き直った。
「さあ、気を取り直したなら今すぐ出て行け。そして死にたいのならば、そのまま何も口にしなければいい。生きたいのであれば、適当にあるものを食べろ。もっとも、どちらかが幸福に繋がっている選択というわけでもないだろうけれど」
「ボクは食べますよ、もちろん! しかしぼっちゃん。出て行け出て行けって、そうじゃまっけに扱わないでほしいものです。ボクたち、こんなところに二人、いや三人きりの仲じゃないですか。もう少し愛想を良くしたっていいものじゃないですか? それともあれですか。ツンデレってやつですか?」
「失せろ」
「あ、そんな冷たい態度とるんだ。ならボクにだって考えがありますよ。なに、どうするのかって? それは簡単です。ここを出て行かない」
 くだらん報復であると言わざるを得ない。おれは娘を一瞥すると、ルールーンのかたわらに端座した。手元には束ねられた紙片を置いていた。そこに連なるのは整然と配列された完璧な文字の集合だった。おれは物語の原型に目を触れさせる。意識を埋没させる準備を整える。採光窓から落ちてくるひかりを書面に合わせて、まずは手始めだ、希代の語り部ルールーン老に、最初の話を送ろうと思う。
 長い話になる。短い話かもしれない。どちらにせよ決まっているのは、おれはこの物語を終わらせてはいけないということである。あのめくらの長姉ファティマに追いつかれないための言繰りは、思えばここを始端にしていた。むろん、始まりの位置は厳密にいえばもっとずっと前である。だがここにはいま、おれがおり、デネブがおり、ルールーンがいた。だからここが開始地点なのだった。誤謬をあえておれは正さない。
 創作を始める。


 書をひも解き言葉を並べ、語り繰ることを物語と呼ぶ。その原理は生の模型である、とおれは見ている。偽りも、そうでないことも、あまり関係はない。物語とは永遠の一線から切り取られた一部である。おれがルールーンへ語るのは、おれが知るかぎりすべての話だった。有名なものから無名のものまで、類を選ばず取りとめもなく無作為に、庵で読めるあらんかぎりの書を取り出して朗誦した。沙漠をわたる盗賊の話や、主人に永劫をもたらす奴隷の話、無道の時代に世界を牛耳った魔神の話。異端にふれて焚かれるべき書物まで、おれは読んで聞かせ尽くした。
 日に数冊がむろん限度だった。
 一ヶ月が瞬く間に過ぎた。
 ルールーンは動かない。目覚めもしない。
 デネブは日に日に横柄になっていった。
 しゃがれた声で書を誦むおれを横目に、筒の水をぜいたくに干しながら、デネブは呆れたようにいった。
「よくやりますね。こんなつまらないことに精が出るものだ。ボクにはとても真似できないな。ねえ、ぼっちゃん。いくら本を読んで聞かしたってこいつはぴくともしませんよ。諦めて、もっと建設的なことをすべきじゃないですか」
「建設的なことだと? たとえば、なんだ」
 おれもさすがに疲れ果てていた。この奴隷女の軽口に付き合うほどに精神をすり減らしていたのだ。それがいか程の消耗だったのかは推して知れよう。
「たとえば、そうですねえ。たとえば。ううん。ちょっと思いつきませんけどね。でも、あるだけのホンを引っ張り出して読むのは、とても面白いとは言えないと思うんですよね。ねえ、気になっていたんですけど。ちっとも面白そうじゃありませんよね、ぼっちゃんは」
「そうかな。よくわからないな」
「気づいてなかったんですか! これは重傷だ。あのねえぼっちゃん。ホンっていうのは、物語っていうのはですよ、楽しむためのものじゃないですか。喜ぶのでも、悲しむのでも、怒るのでも――まあなんでもいいけれど、そこにはなんらかの気持ちがあってしかるべきなんですよ。物語に触れるっていうのはそういうことでしょう? どきどきしたり、きゅんきゅんしたりさ。そういう気持ちが今日までのぼっちゃんからは感じられないな。ねえ、あなた、なんで物語を読むんです? なんのために?」
「……」
 答えあぐねた。おれが読書に明け暮れるのは、そうしたいと思ったからだ。だがルールーンに対する行為はそうした自発的なものではない。そして実際、物言わない石くれみたいな老人を前にして声を上げ続けるのはひどい苦行だった。おれはそれを目当ての物語にたどりつくための階梯のように考えていたのだ。
「だいたい、聞いたことのあるような話ばっかりでつまらないんですよ。抑揚もないし、ねえ、話して聞かせることのイロハもぼっちゃんはわかってない。夜伽って、そういうものじゃないですよ。語り部っていうにはあんまりにもあなたはつたないな。ちょっと、これを言おうかどうか今まで迷っていたんですけれどね」
「そう言うのなら、おまえがやってみたらどうだ」
 気分を害して、おれははき捨てた。こいつの言わんとしていることは十二分にわかっているが、食っちゃ寝にひたすら腐心していたくせに今さらそんなことを言われても素直に受け止められようはずもない。
 娘は咳払いすると、
「いいですよ」
 と上ずった声で肯んずる。おれは眉をあげて褐色のかんばせをうかがう。あぐらをかいた姿勢からやおら立ち上がると、デネブは鼻息も荒くおれを見下ろした。
「いいましたね? 言質はとりましたよ――『やってみろ』って、そう、言いましたね? いつそう言ってくれるかって、ずっと待っていたんですよ。もう、ぼっちゃんたら強情にもほどがある。一ヶ月も語りを禁じられて、うずうずするったらなかったんです。はは、ようやくお役に立てそうだ。うむ、なんだかわかりやすく洗脳されちゃって、かえって嬉しいものだなあ。じゃあ、ちょっと道具をとりにいってきます。なに、ホンのスグですよ。準備は欠かさずにしてあるんです」
 聞き捨てならない台詞を残して、忙しくデネブが退室した。おれは呆気に取られて彼女の後頭部を見ていた。揺れる黒髪はすぐ部屋の外へ消えた。おれは思わずにいられなかった。
 待っていた?
 つまり、ミルアトゥンが彼女を残したのはそういうことなのか?
「いや、いちがいにそうとも言い切れないんですけどね」
「早ええよ」
 本当にすぐに戻ってきたデネブは、腕に楽器を抱えていた。箏(カーヌーン)だった。よほど急いできたのか、軽く息を弾ませている。再び腰掛けて、膝に楽器を置くと、あらわな腹部の前に構えて軽く爪弾いて見せた。
「名手だな」
 デネブがわかりやすくはにかんだ。
「さすが、ヒキコモリのわりにぼっちゃんは洽聞だ。いかにもボクはこの楽器の達人なのです。まあ、上はいくらでもいますし、最上の、とはいえないのが悔しいですけれどね。産まれたときからこれを仕込まれたものだから、まあちょっとしたものだっていうのは請け負いますよ」
「というと、元はやはり奴隷か? ちっともそれらしくないんで違うと思っていたが」
「奴隷ではないです。かといって威張れるような身分でもなかったわけですけども。ぼっちゃん、べつにもったいぶるようなことではないのでばらしてしまうけど、ボクはそこにいる真珠のじい様をご本尊にするとある異教の巫女(カーヒナ)だったのです」
 深刻めかして告白する顔色は明るかった。心じたいが作り変えられつつあるのか、それとも元からこういう楽観的なたちなのかはいまいち判別できない。どうでもよかったので、おれは鼻を鳴らして頷いた。
「意外じゃないな。普通の生まれじゃあないと思っていたけど、実際そうだったってわけだ。それで、じゃあどういう経緯でここにやって来たのかってのも想像がつくな」
「ご賢察の通り」
 と女はいらえる。箏の弦をぱらぱらと爪弾きながら、笑みをたたえて顔を伏せた。
「ボクたちが崇めるものは偶像とも少し違いますが、かの偉大な預言者の教えに浴せるたぐいのものでもありません。実際は、なにかを信じているのでもないのかな。あそこにいたころは考えもしなかったけれど、今じゃそう感じます。というのはやっぱり、ボクはもうかつてのボクじゃなくなっているということなのかな? ねえ、どうなんでしょう」
「以前のおまえを知らないから、そんなことを聞かれてもわからないとしか答えようがない」
「ほんとに、あなたは優しくないですね」
 ため息を零す。調律のようだった音色が、いつの間にか特定の音階を奏でていることに俺は気づく。同時に、デネブの顔つきがほとんど無心のそれになっていた。
 なにか、恐ろしいものに対する予感が、そのときおれのなかで働いた。
 
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[ 2008/01/24 01:30 ] 小説 | TB(0) | CM(0)
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