インクナブラ

 主に創作小説を掲載します。

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まだ始まったばかりだぜ、この果てしない2009坂はよ! 

 と書くと、もう終わった感のある2009年です。
 明けました。おめでとうございます。
 今年は色々と腹の据えどころになる予定。修羅場もいったん終わったことですし、引き続き書く機械となるべく精進したいと思います。
 このブログも細々とやり続けてもう二年? 三年目? くらいになるわけですが、推定3~4人くらいで回してるサイトなので、実質ミクシィとかと変わりません。そんな、無駄に来訪者と距離が近いアットホームな雰囲気を売りにしてはどうだろうと思いついたのが今年の抱負です。向上心もクソもねえな。
 某所で青春時代に一世を風靡したラノベの続編を書いてる作家さんが突然思い立って毎日日記更新をしたように、私もなにかしたいところです。こういう雑感よりもきっと黙々とストーリーを吐き出すのが人に崇め奉られる近道のはず! 前段と早速逆方向に立志してみました。
 ところで、前のエントリのあれ、実はラノベのつもりで書いてる話なんですけど、冒頭から超モロに性描写があるんじゃん? って載せてから気づきました。個人的にはというか、たぶんパブリックな意味でも文章そのものには年齢制限はないと思うわけですが、それを言ったらエロ漫画とかエロ雑誌の成年マークも自主規制なわけだし、配慮は必要ですよね。というわけで、「少女結果オーライ」には一部性描写が存在しますとここで断っておきましょう。今更だがな。

ここで去年最後の滑り込みウェブ拍手返信
>今年中の更新に思わず「イエス!」と叫びました。家族は出払ってると思っていたら、兄貴がコタツで本読んでました。今年の厄mo落とし
>今年の厄もしっかり落とせました。ありがとうインクナブラ。ばっちこい2009年。(何も失敗してないかのように続きを書く)
その失敗も当然のように露出する!
更新したら厄落としとか、超ローカルな星の砂とか四葉のクローバーとかそんな存在になりつつありますねインクナブラ。ウェブ小説界のはぐれメタルを目指していきたいと思います。

 あと、以下は前の「少女~」とは違うんですけど、それよりちょっと前に「百合!百合は正直抵抗がある!女の子はちょっと仲良しなくらいでいいんだよ!でも流行ってるし書いてみたい!」という俗物まるだしの根性で挑戦して挫折した百合小説の一部です。当然そういうコンセプトなので、同性愛を見ただけで塩の柱になるとか、そういう系の方は遠慮したほうがいいかもしれません。でも昔データが吹っ飛んだ女主人公とかのほうがガチだったような気がするな……。


まるいいし



 1

 三年間を三十六ヶ月に分割してひと月が終わるたびに指を折るような、それがつまり内藤日立の高校生活だった。
 彼女は図書館の主で、体型はすらりとして背が高く、肩甲骨に落ちる髪は鴉の濡れ羽色で、周囲には寡黙と見られていたが思考は能弁で、理由もなく同年代から浮いていた。要するにごくありふれた高校三年生だった。そんな彼女が同じ高校の教師である野島千恵美と恋愛関係になったのは四月のことだ。きっかけと呼べるほどの出来事はなかったが、ともかく内藤日立は恋をした。二十五ヶ月目の半ばにしてようやく彼女の高校生活に色がついたのだ。アルバイトも部活動も友人たちとの語らいも欠けた日々に、一点の朱が差して、日立はそれに夢中になった。それからしばらくは上々な時間が続いたといっていいだろう。デートをした。手を繋いだ。キスをした。そんなことを幾度か繰り返した。やがて千恵美のマンションで夜を過ごした。日立は舞い上がっていた。その浮かれ具合といったら、あまり多くない友人にも呆れられるほどだった。
 そしてある日千恵美に「ごめんね」と言われ、知らない女性を紹介され、撃墜された。千恵美には、日立と付き合う以前から、別の決まった相手がいた。そういうことらしかった。そんな存在を全く知らなかったにも関わらず、日立はとてつもない剣幕でまくし立ててくる女を前にひたすら呆然としていた。悪いことに場所は千恵美の部屋で、日立にとってもはやそこはアウェー同然だった。涙ぐんでいる野島千恵美の存在がどんどん遠のいていくような気がしていた。日立の頭蓋骨の内部を占める脳とは違う空間に、黒い亀裂がジグザグに走っておよそ全ての機能を奪い去っていった。そして希望よろしく、最後に残ったのは「なんかもうめんどくさいなあ」という感情だけだった。
 ひとしきり主に千恵美、たまに日立を責めたあとで、ずいぶん年上の女性は「あんたにも悪いとは思うけど、そういうことだから」といって、咎めるような目を千恵美に向けた。千恵美は日立に何かを言ったが、それは日立の感覚を素通りしていった。「あなたは若いから」「キレイだから」「まだ将来があるから」「別の人と」「幸せに」――
 それから一ヶ月、日立はまったく学校へ行かなくなった。
 ストーカーになったからだ。
 毎日千恵美のマンションに通い、すぐ近くにある喫茶店とコンビニを最大限に活用し、朝の六時から夕方の六時までの十二時間をまんじりともせず過ごした。かつての恋人のおはようからおやすみまでを細大漏らさず見守った。揺り籠から見守れないのが悔やまれた。だからせめて墓場まではついていこうと考えていた。
 ストーキング作業は本屋で買った教則本に従って行われた。ごみは無論漁った。無言電話はお金がかかりそうなので止めておいた。盗聴器も設置方法がよくわからなかったので利用は避けた。
 そうして日立は擬似的なスタンドアロン状態に陥った。友人からのメールも、教師からの電話も、親からの小言も、彼女の行動を阻害しそうなものすべてをあらかた黙殺した。その間の記憶は実は曖昧なのだが結果だけは出ている。しばらくして野島千恵美は心を患い教職を辞してどことも知れない場所へ行ってしまったのだ。
 しかしその件について、何の沙汰も日立には訪れなかった。つまり野島千恵美と日立の関係が学校や家庭といった世間の明るみに出ることもなかった。
 困ったのは日立だった。
 拍子抜けしたといってもいい。
 まだまだやることはいっぱいあった。一方でそろそろ熱病も癒えかけて潮時かとも考えていた。しかし終止符は先んじて打たれてしまったのだ。ひどく身勝手に日立は嘆いた。とはいえ、最低限人並みの知能は備わっている彼女のこと、いいかげん自分の行動が分裂的で末期的であることは客観的に認識していた。にもかかわらず不意にぽんと投げ置かれた結果に混乱してしまったのだ。
 さて、千恵美がいよいよ転居するという日に、例の女が日立の前に現れた。彼女はへたをすれば千恵美よりも参った表情で、なにか凶悪な犯罪者とでも対峙するような沈痛な態度で日立と向かい合った。そしてこんなことを言った。
「いま、時間ある? あるよね。ストーカーなんてやってるくらいなんだから」
「何か用――かしら」
 日立は戸惑いながら、とりあえず尋ねた。本来目の前の恋敵に抱くべき敵愾心といったものは元々彼女にはなかった。しかし向こうがそうであるとは考えにくい。というか、刺されても不思議ではない。折悪しく彼女らがいるのはひとけのないマンションの駐車場だった。日立も刺されるのは嫌なのでとても焦った。悪気はあったのだがどうやったらなかったと信じてもらえるだろうか。脳裏に浮かぶ言い訳を総ざらいしている間に女は棒立ちの日立に苦笑してみせた。
「あたし、ふられたの。あんたとおんなじね」
 細く長い指でメッシュの入った前髪をかきあげて、ざっくばらんに女はいった。
「そうですか」
 と、答え、日立はかるく眉をひそめた。口元を引き結び数秒沈思した。女もやはり黙って日立の反応を待っていた。日立の薄い狂気が膜を張った瞳が女の全身を無遠慮に撫で回した。
 タイプは違うが双方女性的な個性が強い日立や野島千恵美と違い、女は鋭角的だった。髪型も服装も薄化粧もアクセサリも何もかもにある種の微意が含まれていた。パンキッシュっていうの? こいつ意図的な男性を演出していてかんに障るわ、と日立はノイローゼ気味に毒づいた。たとえ鞘当てやら固化しつつある自分の感情を度外視しても、好きにはなれないタイプだろうと感得した。
 その先入観と反抗心に凝り固まった洞察のあとに勘ぐったのは、「ふられた」とわざわざ告げてきた女の真意だった。
 日立は一秒で解答を直観した。
「わかったわ。わかったの。――わたしわかったっ。かわしたわ! 今のは回文よ!」
「……なにいってるの?」
 女がけげんに顔をゆがめた。元々引けていた腰がさらに弱くなった。胸中の激しい動悸をごまかすためにも日立は勢いづいた。
「あなた……先生と破局したからって今度はわたしに眼をつけたんでしょう。この恥知らず! しきマ! 女なら誰でもいいっていうわけね。レズビアン! トレビアン! アムフィビアン(両生類)! 第七サティアン!」
「なにいってるの?」
 怯えながら女が後ずさった。気圧されてというよりは動物の轢死体から離れるような感じではあったが、この機を逃す日立ではなかった。まさに眼光紙背を徹し、口角泡を飛ばす勢いで弁を立てた。
「わかってたのよ最初から。わたしはお見通しだったの。先生が騙されていたこともあなたがそんな人間だったってことも感づいていたのよだっておかしいもの。そもそもね、どうしてわたしが詰られなきゃいけないの? なにか悪いことしたの? あの屈辱は忘れないわ。本当にあの日はむかついてしょうがなかった。ごはんも喉を通らなかった! わたしがそんな思いをしたっていうのにこともあろうにあなたは……あなたは! どーしようもないわ本当死ねばいいのに。死ねばいいのに! 間女! わたしを間女あつかいした! ピアスなんかしてるくせに! 先生盗った! わたしはただ好きなだけだったのにそれをさも悪いことみたいにいった! 同じ穴のムジナのくせに! ふられてざまぁみろよしょせんそんな末路が待ってるのよあなたたちには! そうよ先生だって同罪なのよだってなんにもいってくれなかったわたしをかばってもくれなかった! 好きだって好きだってわたしにいったのに好きだって! あとかわいいっていったのに一緒にいようっていったのに! でも先生はともかくあなたはもうだめ! 異常! 超下品! なによそのアイラインは下品で吐気がする! グロスの塗り方もきもいのよ! とにかく存在じたい気に入らないのよ! わたしを悪者あつかいした! 許さない! 死んでしまえ! 地獄へ落ちろ!」
 言い切った。
 直後に女の拳が日立の頬で爆ぜた。
 妙に堂に入った、腰と肩の入ったパンチだった。日立の左目の奥で火花が散った。鼻の付け根から焦げ臭いにおいが拡がった。
 殴られたのだ。そう認識した日立の膝から力が抜けた。「ああうああー」とうめいてから早くも疼いて熱を持つ頬を押さえた。両目に涙をためて、吃と手を振る女を睨みすえた。
「殴った。殴った! この――あなた、ひどいわ!」
「ストーカーよりまし」
 反論の余地もない一言で日立はたやすく打ちひしがれた。数秒前まであれだけ流暢に回っていた舌がまったくもつれて用をなさなくなった。語彙があらかた吹っ飛んだ。ただ水分を分泌して過剰にかがやく双眸は、力を失いながらも女へ固定されていた。
「なによ……。その通りよ! たしかにストーカーよりはましかもしれないわ! でもそれだけなのよ。勝ち誇らないことね。驕った瞬間あなたの転落は始まるのよ。はん、殴りたければ殴ればいい! さぞかしすっきりすることでしょう! でも暴力とかを振るうことによってあなたはあなた自身の価値をおとめし、おとっ……おあったー!」
 噛んでいた。
「――貶めていくのよ!」
 言い直した。
 女が無表情ながらに目尻を震わせた。
「そこまで言う? こっちが歩み寄ろうとしてるのにさ。親のすね齧ってるガキになんでそこまで言われなきゃなんないの? なんでお遊びでちょっとつまみ食いされたくらいのあんたにあたしがそこまで言われるの? 色気づきやがって……、おいてめえ調子乗ってんじゃねえぞコラ」
 拳がつくられ振り上げられる。露骨な威嚇に日立はあっさり口をつぐんだ。日立はすでに風格で負けていた。彼我の人間としての厚味とか凄味には、ベンガルトラと歯の裏に挟まったトウモロコシのカスほどの差があった。
 進退窮した日立は、
「うわー!」
 と声を限りに絶叫した。腹式で発声された悲鳴はあまりに唐突で、見事に女をひるませることに成功した。息が続く限り喉を震わせながら、日立は体勢を立て直した。逃走の準備に入った。毒気を抜かれた顔で立ち尽くす女に、せめて一矢報おうと、弾む呼気を押さえつけて罵声を投げた。
「ばーか! ばーーーーーーか!!」
 その語彙のあまりの頭の悪さにか、あるいは衝動が時間差で決壊したのか、日立はとうとう本格的に泣き出した。そして彼女は本気で泣くととても全力で走ったりはできないのだという事実を、小学生以来久しぶりに思い出した。それはそうだ。余力がないから全力であり本気なのだ。両方できたらどちらも本気ではないということになってしまう。納得したが日立は裏切られた気分だった。泣きながら走り去るという典型的な構図は嘘だったのだ。しょうがないのでしゃくりあげながらそれでもちんたら歩いて逃げの一手を打った。幸いにして追跡はなかった。
 涙はやがて止まり垂れた洟もぬぐわれたが、敗北感は残留して内藤日立の本身を串刺しにした。精神を貫く挫折を引きずり、日立は泣きはらした眼で白昼の住宅街を歩き続けた。その途中で、鉄パイプを引きずる少女に遭遇した。彼女は年老いた野生動物を思わせる静かな瞳でぐずり続ける日立を端然と見ていた。日立は髪で顔を隠しながら進路上に立つ少女を避けて進もうとした。
 すると少女が呟いた。
「わたしのおとうさんを見ませんでしたか?」
 日立は答えなかった。答えたのかもしれないが覚えてないのだから同じことだ。
 彼女は家へ帰った。自宅の薬箱にあった風邪薬七箱を父親のウィスキーで大量に流し込み、弟の夕太にいつも通りに夕食を部屋へ運ぶよう命じると、そのまま三日間一度も目覚めず眠った。次に目を醒ましたのは病院のベッドの上だった。心配げな顔をしていた両親の顔はちっとも覚えていないが、一人離れた場所でゴミクズを見るような眼を向けている弟がひどく印象に残った。
 日常からそうして恋が消えた。野島千恵美が消えた。前よりいっそう色が失われた。千恵美を追いやってから日立はそして、学校へ戻らなかった。まず携帯電話を折った。鏡を割った。机を焼いた。箪笥を砕いた。クッションを切り裂いた。枕を棄てた。シーツを変えた。服を弟に押し付けた。髪を切った。眼鏡をコンタクトに変えた。本棚だけは捨てる気になれなかったが、それでも部屋はすっかり見晴らしがよくなった。ドーナツの穴のようなその空間にはマットレスの載ったベッドと雑多な並びの本棚だけが鎮座していた。
 全ての準備を終え、仕上げに弟の部屋からPCを強奪すると、日立は部屋へ閉じこもった。

 2

 あれから五ヶ月が過ぎた。暦は十二月になっていた。三十六分の三十二が過ぎて、内藤日立の留年が決定的になった。
 最初のうち熱心に説得に来た両親も、日立がとりあえず高校を辞める気ではないことを聞くとどうにか折り合いをつけた。以後は彼女の奇行は思春期の熱病の類だろうと一般化して静観のかまえを取った。
 部屋へ閉じこもって学校へ行かなくなったといっても、日立は自分を封印したかったわけではない。彼女はただ社会への窓口を統御したかった。だから毎日入浴したし三日に一度はコンビニへ行ったしそこで漫画雑誌を立ち読みもした。あとの時間はネットでいくらでも潰せた。時おりは街へも出た。日立はそういうときすでにヒキコモリと言うよりも単なる不登校だった。彼女の行為はもう苦痛に耐えるための儀式ではなく安楽をむさぼる惰性へと落ち着いていた。
 最初の頃は外出したさい同じ高校の生徒を見かけると細心の注意を払って人目を避けたが、二ヶ月もするとそんなこともしなくなった。日立は人並み以上に繊細で陰険で粘着質だが人並みの回復力は備わっていたのだ。だからかろうじて交友関係があったといえる同級生たちも、たまさか校外でそんな日立を見つけると、呆れて彼女にかまけることもなくなった。みな高校三年生で、人生の岐路で、受験が半年後に迫っていた。内藤日立にかかずらわる余裕がある人種は稀有だったし、実際に関わろうと思い実行するような人種となると皆無だった。
 根気強く彼女に声をかけ続けたのはPCを奪われた弟だけだった。
「姉ちゃんよ」
 と彼は言うのだった。とりあえず外に出ろよ。そして制服に着替えたら学校へ行けよ。留年が決まったからって学校へ行かなくていいってことにはならないんだよ。そしてパソコンを返してくれよ。
「わかっているわそれくらい」
 彼女はぼんやりベッドに仰臥したまま答えた。
「でもね夕太、夕太! わたしは病気なのよ。あんたはそれをわかってない。どうしようもないの。ただここでじっとこうしてやり過ごすほかになにもないんだって。おかしいのよ。なんだかわけがわからない内にわたしは動いていて、結局好きだった人の人生とかそういうものを台無しにしちゃったのよ。それなのにたかが十代の一年を浪費するくらいでつりあうの? でも他にどうしたらいいんだろ」
「姉ちゃんにできるのは学校へ行って親父たちを安心させてやることだけだよ」
「安心。そうね、わたしは安心したの。満足なんかはぜんぜんしてないの。でも、安心したのよ……。だって、これから先、毎日先生と顔を合わすなんて、やってられなかった。ああ、だんだん思い出してきた。わたしけっこう自覚的にストーキングしてたんだ。それって、犯罪的にはますますたちが悪いってことだよね? ああぐあああー!」
 日立は奇声をあげた。シーツに噛み付き布地を引き裂いた。
「あー、失恋か。やっぱりそうか」
「聞いてよ夕太」
 日立は起き上がる。長らく激しい動きを忘れた肉体は以前にも増して細って、ただでさえ白かった彼女の顔色は青味さえかかっていた。ただ眼だけが異様に爛々と輝いていた。ざんばらの髪をかきむしり、姉は弟へ吐き捨てるように告白した。
「わたし、昔からちょっとそうかな、と思ってたんだけど、どうやらほんとうに同性愛者みたい。どうすればいいの?」
「おれに聞かれても困る」
 人生で最初のカミングアウトは、実に平板に受け止められた。常々何を考えているかわからない弟だがここまでとは思っていなかった日立は、さすがに面食らって夕太を凝視した。ベッドと本棚以外のものが全てなくなった部屋で、姉弟は向かい合って沈黙を交換する。
 気まずげに身じろぎした夕太は換気しようと呟き窓に近寄って一面眼張りされた様相にげっとうめいてから、びりびりとガムテープをはがし始める。やがてすっかり冷え込んだ十二月の風が日立の部屋に吹き込んだ。カーテンがぐらぐらと目眩でも起こすように揺れていた。寒いと漏らした日立は蒲団を肩にかぶって近視を眇め、目尻を痙攣させながら弟に問う。
「ていうかなんであんたわたしの服を着てるのよ?」
「姉ちゃんがおれに押し付けたんだけど似合ってる?」
「……わりと」
「じゃあ、表に出ようぜ」
「何が、じゃあ、なのかわからないけど、あんたがその格好で一緒に歩いてくれるならいいよ」
「ああ、じゃあそうしよう。ほら着替えな」
 冗談だと取り下げる間もなく夕太は日立を促した。日立は釈然としないまま独りになった部屋で立ち尽くした。
 とりあえず全裸になって自分の体を見下ろした。姿見を窓から投げ捨てたことが悔やまれた。切った髪がずいぶん伸びていた。胸を右手で持ち上げすっかりたるんだ下腹の肉をつまみ、立ちくらみを起こしてその場にうずくまった。開け放たれた窓から入る風はまだ止んでいない。灰色の雲が隣の家の屋根の上に浮いていた。一糸まとわぬ姿のまま日立は窓際に寄った。隣家の犬がすごい勢いで鳴き始めた。五ヶ月前に置いてきた野島千恵美とその恋人のことを日立は思った。
 わたしはもてあそばれたのだ、と執拗に避けていた単純明快な事実をこのとき初めて口にした。区切りよく涙が流れたり胸がすくようなことはもちろんなかった。なにしろ五ヶ月も経っている。十二月になっている。三十六分の三十二になってしまっている。すべては思い出化されつつある。何より日立はもはや加害者の側でもあった。とりわけ、くすんだ感情や今なお喉の根元を締め付ける黒い不快感も一頃よりだいぶ希釈されていた。最近では普通に胃が食事を受け付ける。体重が増えたのはその証拠だ。日立の不規則な食事をまかなう夕太の腕前もどんどん上がっている。日立が停止しているあいだにも時間は休まず動いていて、世界を運んでいた。
「夕太!」
 と、日立は疾呼した。すぐに「はいはい」とドア越しに声が返された。
「着替え終わったのか?」
「まだ。だから入らないでねいまわたし全裸なのよ。鳥肌が立ってるくらいだもの。ところで、ねえ、今日は何日? 十二月の」
「二十四日だよ。クリスマスイヴだ」
 その答えを聞いて、一息に気が抜けた。「あああ」とうめきながら両手を桟に預けたままで、日立は再度くずおれた。急激に虚しさが胸をついたのだった。涙は落ちなかったがそれよりもずっと根本的なものが落下するのを彼女は感じた。自棄的になってまた向こう見ずな言葉が吐露された。
「死のうかなぁ――」
「死ぬにしてもなんにしても、なるべく服は着たほうがいいと思うよ」
 まったくだ。内藤夕太は常におおむね正しい弟だった。内弁慶の姉である日立は久方ぶりに彼の存在をありがたく思った。もそもそと母親が百均で買ってきたコットンパンツを穿いた。ブラジャーがどこにも見当たらなかったので素肌の上にセーターを二枚着てコートを羽織り、デニムを穿こうとしたらボタンがしまらなかったので辟易しながらタイツを持ち出しマドラスチェックのスカートに足を通した。折りよく部屋の戸を叩く音がした。
「着替え終わった? 手鏡持ってきたんだけど」
「気が利くわね。もしかして彼女でもできたの?」
「いやいないけど。入っていいの?」
「どうぞ」
 入室した夕太は相変わらず女物のニットセーターにデニム地のスカートの立ち居で、オーバーニーのソックスが際立たせる足のラインが無駄に美しい曲線を持っていた。線は細いし顔もそれなりなのでかろうじて見られるレベルの女装なのは救いだが、女性的に見せようとする小細工を一切していないので結局どこまでも女装しかない。当然ながら体の輪郭がまともに男なので、傍目にしても罰ゲームにしか見えなかった。日立は妙なことになってきたぞと思いながら手渡された鏡で自分の顔を確認した。一見するや彼女は「ぎゃー」と叫んだ。
「眉毛! ボーボー!」
「そりゃなあ」 
 ひどい有様であると言わざるをえなかった。募りに募った不摂生と不規則が肌荒れや枝毛やむくみや無駄毛というかたちで現出していた。半年近く自意識とバイバイしていたつけの集大成が鏡に表れていた。日立はあっけなく途方に暮れた。リカバリィを試みるより諦めるほうが数倍楽だった。
「これは外出とかありえないわ」
 すぐに服を脱ぎにかかる日立を夕太が慌てて制止した。
「いや、とりあえず美容院いこうよ。そこで綺麗さっぱりリフレッシュしてもらおうよ」
「そんなお金ないわ」
「おれが出すから」
「あんた、いつのまにそんなリッチャーに……」
「バイトしてんだよ。それと別に金もってるわけじゃないからな。ようやく姉ちゃんを引っ張り出せそうなこの機会だ、しり込みしてるわけにはいかないっておれの心意気だよ」
 日立は醜く表情を歪めた。
「哀れむってわけ。このわたしを。弟ごときが偉くなったものだわ」
「今の姉ちゃんはどう見たって哀れな生き物だよ」
「そんな言い方ってないと思うわ!」
「どう見たって哀れな生き物だよ、今の姉ちゃんは」
「倒置法にしろとも言ってないわ!」
「でも女装してるおれよりはずっとましだと思うんだよね」
 それもそうだったので、姉弟は相憐れみつつ街に繰り出すことにした。クリスマス・イヴ。休日の午後二時だった。日立と夕太の部屋は内藤家の二階にある。十五年前はおしゃれで今はいささか陳腐になったねじれ階段を二人は連れたって降りた。夕太が「姉ちゃんと外に出てくる」と居間に向かって声をかけると、ノンキな声で「はぁい」と返ってきた。母の声だ。他に何か仕事をしているようで、誰が泡を食って飛び出してくる様子もなかった。てっきり一大椿事として自分の外出を取りざたされると思っていた日立はやや拍子抜けした。しかし実際ただ出かけるだけのことであり、なんでもかんでも相対化すればいいものでもないという持論を掲げる彼女は特にいぶかりもせず納得した。
 内藤家を出た二人は寒空の下で微妙に距離を取って最寄りのバス停に向かった。途中では誰とも遭遇しなかった。六分待ってやってきたバスもがらんとしていた。先客は寝たふりをした陰気な眼鏡の若者がひとりと、杖を持った白髪の老婆がひとりいるだけだった。日立と夕太は通路を挟んで座席を二箇所占領した。運転手が女装した少年であるところの夕太を何度もちらちらとうかがっていることを、もちろん日立は見逃さなかった。
「あんたそんな格好で恥ずかしくないのかしら?」
「もう慣れた」
「…………」


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[ 2009/01/14 02:32 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
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