インクナブラ

 主に創作小説を掲載します。

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夜明けのエディプス・跋 

 さて、ここまで斜め読みだろうが飛ばし読みだろうが飽きずに読んでくださった方へ。
 少々気が早いですが、満開のありがとうを贈らせてください。

 それではエピローグ。




‡‡‡


そよぐカーテンの向こうから西日が射しこんでいた。

「あ、おはようございます」
 ふってわいたような声に目を向ければ、そこにはさっき妹の部屋で同席していた阿坂さんがいた。そのあとに、ここがどこかの部屋だと認識する。吊られたままの僕の腕とか顔に巻かれた包帯、そして腕に刺さっている点滴をみれば病院だという予測はさすがにできるんだけど、どうしてか彼女の他には誰もいない。
「……おはよう」
 それでも僕はくぐもった声で挨拶をかえして、疑問をのみこんだ。余計なことを聞きたい気分じゃ、今はなかった。西日の金色がさっきまでの夜の終わりのつづきみたいに思えて、僕はそれを汚したくはなかったのだ。
 そして、それきりまた僕たちのあいだには沈黙がたれてくる。
 今度は状況が状況なせいか、とくに居心地が悪いという感覚をおぼえることはなかった。ただ安らかに、風が吹いているだけだ。部屋には夏の残照がまだかすかに色を落としていて、でも、それはまったく不快じゃない。
 不思議なのは、どうして阿坂さんが僕の病室にいるんだろうということだった。道場での経緯からして妹がいないのは納得できるけど、だからって彼女がいるのはいくらなんでもおかしいと思う。
 そうだ、あのあと、僕は……そして祖父は、いったいどうなったんだろう? さっきまでのことは今は置いておくとして……僕は混乱している記憶の時系列をまとめようとしてみる。
 だけど、それは無駄な努力だった。どこまでが記憶で、どこからがそうでないのか、自分では区別がつかない。あるいはすべてが幻だったのか、あるいはなにもかもが現だったのかもしれないとさえ思う。
 それくらい、今の僕はよくわからない。
 だけど、たぶんひとつだけ、わかっていることはある。

「あ」

 まずい、と思ったときにはもう頬を涙が流れたあとだった。一度流れれば、それはとめどなく流れ落ちて衝動になった。ぼろぼろと、涙はこぼれて止まらない。意思ではどうしようもない。それは、僕のいちばん深いところから漏れ出している色だった。
 悲しいとか嬉しいとか虚しいとか、そんなまともな感情は思い浮かびさえしなかった。ただ純粋に生理的反応として、その涙は流れているみたいだった。僕はただ思っただけなのだ。おそらく、この世界のどこにも、もう祖父はいないだろうということを、またしても根拠のない予感として受け取っただけなのだ。
 そうしたら涙が流れてくるんだから、つくづく人間っていうのはよくわからないと思う。
「あの……いたいですか? 看護師さん呼びます?」
 しかも阿坂さんはしゃくりあげる僕を見おろしてのんびりとそう訊いてくるものだから、僕はますます泣けてくる。ああかっこわるい。なんでいるんだよこの子。それからそうだ、と思う。どうせもう泣いてしまったんだし、体中のどうしようもない痛みとかこの情けなさとかをぜんぶ涙にして流してしまえばいい。
 名案だ、と思ったときには僕は大声で泣き出している。そしたらさすがに彼女は困りだして、それでも僕は泣きつづける。大きな声で、みっともなく。わんわんと声を上げて、色々なものを涙にかえて吐き出しつづける。それはちょっと病みつきになりそうなくらい快感で僕はあやうく自制を忘れそうになったけど、さすがに数分もすると泣きつかれてくる。
 それでも僕は涙を流す。生誕というにはいろんなものをはじめから背負いすぎていて、……思っていたほどさわやかなものでもなんでもなかった。僕は夢の中で――そしておそらく道場でも最初の一撃で――祖父を殺した。けどだからって、あたりまえだけどきれいさっぱり生まれ変われるわけじゃない。世界はそのままだし、怪我だって痛いままだ。結局のところ、僕の世界は連続していくのだった。
 それでも僕は子宮を脱け出したし産道も通って来たわけだから、やっぱりおはようというのはしごく的を射た挨拶なのだと思う。

 季節は夏で、黄昏どきで、僕はミイラ男みたいに包帯でぐるぐる巻きにされながら泣いている。風は涼しくそよいで、僕を困ったように見ている阿坂さんの髪を揺らしていて、カーテンを段々にたなびかせていた。
 どこか遠くで、ヒグラシが鳴いていた。その独特のリズムで、一日の終わりをうたっていた。といえば詩的なんだけど、あいにくあいつらは交尾する相手を探しているだけであって、べつに僕たちに風流を告げるために鳴いているわけじゃない。あたりまえだけど、そこまで僕たちを中心には世界は回っていないってことだ。

 だからなんなのかというと、僕は少し困ってしまっているのだった。だって僕はほぼまちがいなく日本刀で祖父を斬殺した孫なわけで、これってなかなかに陳腐でほどほどにセンセーショナルなネタじゃないかと思う。いやだなあ、と僕は泣きべそをかきながらぽつりと漏らした。転機が来たと思ったらあっというまにキれる十代とかにされてしまうんだろうか。つくづく僕の人生はろくでもない。

 まあいいか、と僕は思った。そういう色んなことを考えるのは後回しにしよう。こわい刑事さんとかがやってきてまた僕を痛めつけようとするまえに、だからなるべく楽しいことを考えることにする。
 せっかくの夏だし、髪も切りたいし服だって新しいのが欲しい。僕はふと思いついて目の前でおろおろしたままの阿坂さんを見つめる。ちょうどいい機会だし、いろいろうまくはいかなくたって記念日には違いないんだから、とりあえずわかりやすい一歩を踏み出してみよう。
 ねえ、と僕は金色の光が満ちた世界で問いかける。

「友達になってくれないかな、わたしと」




              〝No my name yet〟――Fin.

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[ 2005/12/17 23:07 ] 夜明けのO | TB(0) | CM(0)
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